鮎滝渡船場跡(読み)あゆだきとせんばあと

日本歴史地名大系 「鮎滝渡船場跡」の解説

鮎滝渡船場跡
あゆだきとせんばあと

阿武隈川に設けられた渡場で、上蓬莱かみほうらい橋の下に位置した。国指定史跡。江戸時代の信夫しのぶ金沢かねざわ村と伊達郡立子山たつごやま村を結び、立子山村側の渡船場は春田はるたから西に入り、入道窪にゆうどうくぼを経て峡谷への坂道を下った字船場ふなばにある。阿武隈川が深い淵をなす両岸には船を着けるのに都合よく自然岩が突き出ている。川岸を船着場まで下る敷石道や、船をつなぐために石をうがった穴が増水時・減水時に応じて三ヵ所ある。立子山側に水路安全を祈願した文久四年(一八六四)紀銘の水天宮碑があり、当渡を利用した村の名が刻まれている。また念仏供養塔、岐尊神の碑も建ち、水面から五メートルほどの崖際には渡守宅跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「鮎滝渡船場跡」の解説

あゆたきとせんばあと【鮎滝渡船場跡】


福島県福島市立子山にある渡し場跡。伊達郡と信夫(しのぶ)郡とを結ぶ交通の要衝で、川の渡し船が行き来し、明治初年まで多くの人々が往来していたが、1875年(明治8)に上流に逢隈橋ができたため、廃止になった。現在も当時の様子がよく残っており、川原船着き場まで下る敷石道や船をつなぐための石穴などが保存されている。敷石道の脇には水天宮や阿弥陀仏などの石碑もある。1937年(昭和12)に国指定史跡となった。JR東北本線金谷川(かなやがわ)駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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