鵜戸神宮(読み)ウドジングウ

デジタル大辞泉 「鵜戸神宮」の意味・読み・例文・類語

うど‐じんぐう【鵜戸神宮】

宮崎県日南市にある神社。旧官幣大社。主祭神は彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと。他に五神を祭る。海岸の洞窟内に社殿がある。鵜戸権現

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精選版 日本国語大辞典 「鵜戸神宮」の意味・読み・例文・類語

うど‐じんぐう【鵜戸神宮】

  1. 宮崎県日南市宮浦にある神社。旧官幣大社。主神は鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。ほかに大日孁貴尊(おおひるめのみこと)ほか四柱をまつる。崇神天皇の代の創建と伝えられる。社殿は海岸岩窟内にある。鵜戸権現。鵜戸さん。

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日本歴史地名大系 「鵜戸神宮」の解説

鵜戸神宮
うどじんぐう

[現在地名]日南市宮浦

日向灘に面した鵜戸岬の岩屋の洞窟内に鎮座する。主祭神の日子波瀲武草葺不合尊のほか大日貴命・天忍穂耳尊・彦火瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・神日本磐余彦尊の合せて六神を祀る。旧官幣大社。古くは鵜戸大権現(日向地誌)・鵜戸六社大権現(鵜戸詣道の記)・鵜戸六所大権現(鵜戸山年代録)などともいった。本殿のある岩屋は日子波瀲武草葺不合尊の生誕地との伝承があり(「日向地誌」「西海雑志」など)、本殿西方の鵜戸山は吾平あいら山ともいい、同山頂にある速日峯はやひみね(早日峯)陵は日子波瀲武草葺不合尊の陵墓吾平山上陵(日本書紀)との伝承も残る。なお近世までは仁王護国寺が別当寺を勤めていた。当社創建の確かな年代については不詳であるが、伝承によると崇神天皇の時代に社殿を創建し、推古天皇の時代に六所大権現の神殿を造営、延暦二三年(八〇四)には社殿を再興したという(明治二七年「官国幣社」県立図書館蔵)

〔中世〕

応永三一年(一四二四)伊東氏の守る加江田かえだ(現宮崎市)攻撃のため油津あぶらつに集結した島津久豊軍は、吉日を選び油津を出航し、鵜戸崎を通ったのでまず「鵜戸宮寺」に参詣した後、宮浦みやのうらに入港した(「島津義天譜」旧記雑録)。天文二年(一五三三)小笠原光清が鵜戸参詣に来ると聞いた新納忠勝は、光清を志布志しぶし(現鹿児島県志布志町)に招来し、小笠原流の弓馬の道について教えを請い、その後犬追物を張行するようになったという(一〇月二六日「小笠原光清書状」旧記雑録、新納氏系図など)。天文四年島津勝久は実子で伊作家の養子となった忠良らに敗れて鹿児島を追われたが、同六年二月当社へ社参を思い立ち、そのついでに益房丸のことを豊州家島津忠朝に頼もうとしている(二月一三日「島津勝久書状」旧記雑録)。天正六年(一五七八)九月一五日、島津義久大友宗麟との合戦を前に戦勝祈願をして「霧島山・鵜戸・妻霧島」の三社に仁王経三部を講読させている(「川上久辰耳川日記」都城島津家文書)。同一四年七月二七日、前田兼政は筑前岩屋いわや(現福岡県太宰府市)詰を前にして、鵜戸へ七日参籠することと八幡宮へ連歌百韻を捧げることを誓い、岩屋城での高名と武運長久を願っている(「前田兼政立願状」都城島津家文書)

厚い信仰を集める一方、連歌書では「鵜戸の窟」が歌の名所とされるなど(「梵灯庵袖下集」「宗祇袖下」など)、文人墨客の参詣も多かった。文明一一年(一四七九)閏九月一日には薩南学派の始祖桂庵玄樹が参詣し、鵜戸廟前と題した漢詩をつくっている(島陰漁唱)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鵜戸神宮」の意味・わかりやすい解説

鵜戸神宮
うどじんぐう

宮崎県日南(にちなん)市鵜戸に鎮座。日向灘(ひゅうがなだ)に面する洞窟(どうくつ)の中にある。日子波瀲武鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武(じんむ)天皇)を祀(まつ)る。社伝によると、当社の創祀(そうし)は崇神(すじん)天皇の代という。桓武(かんむ)天皇の代の782年(延暦1)に、天台僧といわれる光喜坊快久(こうきぼうかいきゅう)が勅命により初代の別当となり、社殿を再興するとともに、寺院を建立、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(だいごんげんあひらさんにおうごこくじ)の勅号を賜ったという。天台宗であったこの寺はのちに真言宗となり、洞内本宮のほか寺坊18を数え、両部神道の一大道場として栄えたといわれる。1827年(文政10)の大火や明治の神仏分離などのため堂坊のほとんどが失われ、社殿、玉橋、八丁坂本参道におもかげが残る。明治維新と同時に鵜戸神社、1874年(明治7)に鵜戸神宮と改称した。旧官幣大社。例祭は2月1日。7月第3土曜日には油津(あぶらつ)港までの神幸がありにぎわう。旧暦正月4日には満艦飾の初詣(はつもうで)漁船の参拝があり、2月初卯(う)の日には農家の人や漁船が陸と海から集まって参拝をする。

[落合偉洲]


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改訂新版 世界大百科事典 「鵜戸神宮」の意味・わかりやすい解説

鵜戸神宮 (うどじんぐう)

宮崎県日南市に鎮座。鵜戸権現とも呼ばれた。社殿は日向灘に直面する洞窟の中にある。祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊,天照大御神,天忍穂耳(あめのおしほみみ)尊,彦火瓊瓊杵(ひこほのににぎ)尊,彦火火出見(ひこほほでみ)尊,神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊。社伝によると崇神天皇の時代に創建されたという。大祭は2月1日であるが,7月第3土曜に神幸祭が行われる。旧官幣大社。
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百科事典マイペディア 「鵜戸神宮」の意味・わかりやすい解説

鵜戸神宮【うどじんぐう】

宮崎県日南市に鎮座。旧官幣大社。ウガヤフキアエズノミコトをまつる。崇神天皇の時,祭神の誕生の地といわれる鵜戸海岸宇土浜の岩窟内に社を建てたと伝える。桓武天皇の時,光喜坊快久が寺院を建て,鵜戸権現と称し,西の高野といわれるほど寺坊も多く,両部神道の大道場であった。例祭は2月1日。
→関連項目ウガヤフキアエズノミコト鵜戸崎陰流

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鵜戸神宮」の意味・わかりやすい解説

鵜戸神宮
うどじんぐう

宮崎県日南市に鎮座。元官幣大社。祭神はウガヤフキアエズノミコトほか5神。古く崇神天皇の創建と伝えられ,日南海岸に面した大洞窟の中に本殿がある。現在の神殿は正徳年間 (1711~16) に造営。明治初年の神仏分離までは鵜戸権現といわれ,寺坊 18を数えた。 1874年鵜戸神宮と改称。例祭2月1日。

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デジタル大辞泉プラス 「鵜戸神宮」の解説

鵜戸神宮

宮崎県日南市にある神社。社殿は鵜戸崎岬の突端、日向灘に面する洞窟内にある。崇神天皇の時代の創建と伝わる。祭神はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトほか5神。

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