鶴見祐輔(読み)つるみゆうすけ

改訂新版 世界大百科事典 「鶴見祐輔」の意味・わかりやすい解説

鶴見祐輔 (つるみゆうすけ)
生没年:1885-1973(明治18-昭和48)

昭和期の政治家著述家。岡山県出身。東京帝国大学法科大学卒業。内閣拓殖局に入り,1924年鉄道省運輸局総務課長を退官後,ヨーロッパ,アメリカ,オーストラリア,インド各国の大学等で遊説し民間外交の推進に尽力した。28年に代議士となり以後4回当選米内光政内閣の内務政務次官となり,大政翼賛政治会,大日本政治会などの顧問を務めた。第2次世界大戦後日本進歩党の幹事長となり,公職追放解除後,53年参議院議員を1期務め,第1次鳩山一郎内閣厚相となる。また太平洋文化協会,国土防衛民主主義連盟を創設し,この間,政治評論,小説等を執筆した。著書に,《自由人の旅日記》,《後藤新平》(全4巻),《英雄待望論》などがある。後藤新平の女婿和子,俊輔の父。
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百科事典マイペディア 「鶴見祐輔」の意味・わかりやすい解説

鶴見祐輔【つるみゆうすけ】

政治家,著述家。岡山県出身。1910年東京帝大法科大学卒。初め官界に身を置いた。1928年衆議院議員となり,以後3回連続当選,1940年米内(よない)光政内閣の内務政務次官,のち翼賛政治会顧問となる。この間,アメリカ,オーストラリアなどを歴訪し,海外の対日世論悪化防止に尽力。第2次大戦後は日本進歩党幹事長となり,公職追放後,1953年参議院議員に当選,第1次鳩山一郎内閣の厚生大臣となる。1959年政界引退。著書は《英雄待望論》など。後藤新平の女婿。評論家鶴見和子〔1918-2006〕・鶴見俊輔姉弟の父。
→関連項目鶴見和子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴見祐輔」の解説

鶴見祐輔 つるみ-ゆうすけ

1885-1973 大正-昭和時代の政治家,著述家。
明治18年1月3日生まれ。後藤新平の娘婿。鶴見和子・俊輔の父。鉄道省の官僚をへて,昭和3年衆議院議員(当選4回)。民政党などに所属。戦後は日本進歩党初代幹事長。のち改進党,自民党にうつる。28年参議院議員,第1次鳩山内閣の厚相。昭和48年11月1日死去。88歳。岡山県出身。東京帝大卒。著作に「母」「子」など。

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