鹿児島紡績所 (かごしまぼうせきしょ)
1867年(慶応3)5月に,薩摩藩営として鹿児島磯ノ浜に創設された日本最初の紡織工場。分工場ともいうべき堺紡績所,幕府による鹿島紡績所(東京)とともに始祖三紡績ともいわれる。島津斉彬の遺志を継いだ薩摩藩主島津忠義は,1865年春から翌年にかけて,留学の名目で新納刑部を代表に五代友厚や寺島宗則らをイギリスに派遣し,紡績業の視察を通じて,紡績機械の購入と技師招聘をはかった。喜望峰経由のため,開綿機1台,打綿機1台,梳棉機10台,練条機1台,始紡機1台,間紡機2台,練紡機4台,スロッスル1848錘,ミュール1800錘,力織機100台が鹿児島へ到着したのは,67年1月であった。イギリス人技師6名と近在の職工200名で,1日10時間労働,製糸額は平均48貫余といわれた。使用原棉は大阪と広島から移入し,でき上がった織布のうち,白木綿は大阪で,縞木綿類は城下で売りさばいたという。97年まで,島津家経営として,紡績事業をつづけ,廃業後,機械は泉州紡績会社に,職工は鐘淵紡績会社などに移された。
執筆者:加藤 幸三郎
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鹿児島紡績所
かごしまぼうせきじょ
日本最初の機械制綿糸紡績所。薩摩(さつま)藩主島津忠義(ただよし)の命で渡英した新納刑部(にいろぎょうぶ)、五代友厚(ごだいともあつ)はプラット社に紡織機を発注し、1867年(慶応3)紡績機3648錘(すい)(ミュールおよびスロッスル)、力織機100台の工場が、E・ホームら7名のイギリス人技師の指導で磯(いそ)の浜に完成した。廃藩置県後は会社形態をとり、一時(1878~82)浜崎太平次に貸与されたものの実質的には島津家の所有のもとにあった。一時は職工300名を用い、綿糸と白木綿、縞(しま)木綿を生産したが、企業としては不振を続け、紡績業勃興(ぼっこう)の動きからは取り残されて、忠義の死の翌年、1898年(明治31)に閉鎖された。
[高村直助]
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鹿児島紡績所
かごしまぼうせきじょ
鹿児島藩が設立した日本で最初の洋式紡績所。始祖三紡績の一つ。イギリス人技師の指導をうけ,1867年(慶応3)5月鹿児島市の磯ノ浜で紡績機3648錘,力織機100台の規模で開業。一時,地元の豪商浜崎太平次に貸与されるなどの変遷をたどったが,島津家の経営に復し,その後の増設によって,6500錘の紡績会社に成長。経営は不振で,97年(明治30)の閉鎖後に紡績機は泉州紡績に移された。
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鹿児島紡績所
かごしまぼうせきじょ
幕末,薩摩藩が鹿児島に設立した日本最初の洋式機械紡績工場
1867年,藩主島津忠義がイギリスから機械と技師を導入して操業。のち変遷を経て島津家の個人所有となったが,経営不振のため '97年閉鎖した。
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世界大百科事典(旧版)内の鹿児島紡績所の言及
【織物】より
…このような状況下で,それを率先実行したのは,諸機器の導入,研究に先鞭をつけた薩摩藩主島津斉彬である。彼の死後,その遺志を継いだ藩主島津忠義は1867年(慶応3)イギリスから水力や蒸気を動力としたミュール紡績機3台,スロッスル紡績機6台を輸入し,鹿児島紡績所を建設した。その後,明治政府は綿糸布の輸入の増大を防ぎ,日本の綿紡績を保護するために,新しい機械の導入や紡績会社の設立に努めた。…
【工場】より
…【荒井 政治】
[日本における工場の成立]
日本において機械(作業機,動力機)を備えた工場は,江戸時代末期に外圧が強まるなかで幕府および雄藩によって初めて設立された。幕府の浦賀造船所(1853),長崎製鉄所(1861),関口製造所(1863),横須賀製鉄所(1864),水戸藩の石川島造船所(1854),薩摩藩の鹿児島集成館(1857),鹿児島紡績所(1867)などがその代表的なものである。鹿児島紡績所以外は,いずれも兵器・軍艦製造を目的とした軍事工場であり,オランダまたはフランスから機械・設備を輸入し,外国人技師および職人を雇って創設された。…
【繊維工業】より
…日本においては明治に入ってからである。
【日本における歴史】
[綿糸,綿布]
日本においては,1867年(慶応3)に最初の機械紡績工場である鹿児島紡績所が薩摩藩によってつくられた。明治に入り,殖産興業の名のもと繊維工業の育成政策がとられ,72年(明治5)に[富岡製糸場],79年に千住製絨所など官営の工場がつくられた。…
【紡績業】より
…開港後,イギリス品を中心とする良質,安価な綿糸布の輸入によって,手紡ぎの衰退と生産性の高い機械制工場建設の動きが始まった。まず薩摩藩が1867年(慶応3)イギリス製機械による鹿児島紡績所を鹿児島に開設した。続いて70年に同じく薩摩藩が堺に堺紡績所を開設(1872年に官営となる),72年には東京の木綿問屋鹿島万平が東京滝野川に鹿島紡績所を設立した。…
※「鹿児島紡績所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」