鹿苑寺〈金閣寺〉庭園(読み)ろくおんじ〈きんかくじ〉ていえん

国指定史跡ガイド 「鹿苑寺〈金閣寺〉庭園」の解説

ろくおんじ〈きんかくじ〉ていえん【鹿苑寺〈金閣寺〉庭園】


京都府京都市北区金閣寺町にある庭園。一般的に金閣寺と呼ばれ、室町時代初期の1397年(応永4)に藤原公経(ふじわらのきんつね)が建てた西園寺(さいおんじ)家の山荘を、足利義満(よしみつ)が譲り受け、北山殿(きたやまどの)と呼ばれる別邸を置いたことに始まる。そのときの舎利殿が金閣で、義満の死後、子の義持(よしもち)によって北山殿は禅寺に改修され、義満の法号から鹿苑寺と名づけられた。しかし、1467年(応仁1)からの応仁の乱によって西軍の陣だった鹿苑寺は炎上し、金閣を除いたほとんどの建造物が焼失した。庭園は西園寺時代と北山殿時代の景観をもとに手を加えた池泉回遊式庭園(改修前は池泉舟遊式庭園)で、背後の衣笠(きぬがさ)山を借景とし、中心の鏡湖池(きょうこち)には葦原島や鶴島などの島々、細川石や畠山石など大小の名石を配し、九山八海を表現している。鏡湖池に臨む金閣は3層の楼閣で、2層・3層に金箔を貼った室町期楼閣建築の代表例であり、杮(こけら)葺き宝形造りの屋根には金色に輝く鳳凰(ほうおう)が据えられている。また、層ごとに様式が異なる珍しい建築物で、1層目は寝殿造り、2層目が書院造り、3層目は禅宗様仏殿造りとなっており、それぞれ法水院(ほっすいいん)、潮音洞(ちょうおんどう)、究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれている。これら多様な様式の調和も、金閣を美しく見せる重要な要素になっている。三島由紀夫水上勉(みずかみつとむ)の小説で知られ、現在の金閣は1950年(昭和25)に放火によって焼失したものを5年後に再建したものである。1925年(大正14)に国の史跡・名勝に指定され、1956年(昭和31)に特別史跡特別名勝に指定された。1994年(平成6)には「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録された。JR東海道新幹線ほか京都駅から市バス「金閣寺道」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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