福岡県福岡市の民謡。同地方で酒席の酒盛り唄(うた)として歌われてきたもので、本来は「筑前今様(ちくぜんいまよう)」とよばれていた。「今様」とは「今めかしき当世風の歌」という意味。江戸時代後期に、諸国で、国文学者が七五調を4回繰り返す48韻の今様形式で作詩する遊びが流行した。そのおり、筑前国黒田藩でも二川相近(ふたがわすけちか)という儒学者が、1822年(文政5)に56歳を記念して56首の歌詞を藩主黒田斉清(なりきよ)に献上した。ところが藩主も28歳の若さながらこれに熱中、ついには武術指南役の吉富某が雅楽『越天楽(えてんらく)』の曲にのせて歌い始めた。そうしたなかで藩士の高井知定が、「飲め飲め酒を 飲み込みて 日(ひ)の本(もと)一のその槍(やり)を 取りこすほどに飲むならば これぞまことの黒田武士」とつくった。かつて黒田二十五騎の一人として名声をはせた母里(もり)太兵衛が、福島正則(まさのり)から、1590年(天正18)の小田原城攻めの手柄に豊臣(とよとみ)秀吉より賜った名槍(めいそう)「日本号」を賭(か)けて飲みとった故事をもとにしたもので、これがしだいに広まって、酒席の唄になっていった。その後、1928年(昭和3)NHKがこの唄を放送するにあたり、しまいの文句をもじって『黒田節』とし、1943年赤坂小梅によってレコード化され、日本中に広まった。
[竹内 勉]
福岡県の民謡。もと《筑前今様》といった。《黒田節》と改称されたのは1928年のラジオ放送からという。今様形式の歌詞を黒田藩士が競作し,雅楽《越天楽(えてんらく)》の旋律を借用して歌ったのに始まる。小田原攻めの功績で福島正則が豊臣秀吉から拝領した名槍を,藩士母里(もり)太兵衛が大杯で酒を飲みほしたほうびとして正則から得たという故事による歌詞〈酒は飲め飲め〉がよく知られる。43年赤坂小梅がレコードに吹き込んで全国に流行した。
執筆者:須藤 豊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…黄鐘調に渡された年代は不明。平調の旋律は,平安時代に好まれたらしく,それに詞章を当てはめた〈越天楽歌物(うたいもの)〉も生まれ,〈越天楽今様〉として残されて福岡県の《黒田節》はその民謡化した例で《筑前今様》ともいう。箏曲の組歌は,寺院歌謡として伝承された越天楽歌物が源流と認められる。…
※「黒田節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新