江戸末期の侠客(きょうかく)。甲斐(かい)国八代(やつしろ)郡上黒駒村(山梨県笛吹(ふえふき)市)の農民の生まれ。1856年(安政3)25歳のとき博徒の群れに投じ、博徒の親分、同郡竹居村(笛吹市)甚兵衛の子分になった。その後頭角を現して、甚兵衛の弟安五郎(竹居の吃安(どもやす))とともに甲州における博徒の一勢力を形成、子分は90人余に及んだという。1861年(文久1)以降他派と確執・闘争を繰り返したが、駿河(するが)(静岡県)の清水次郎長(しみずのじろちょう)との抗争は有名。賭博(とばく)、殺害などによる捕縛手配を逃れるため伊勢(いせ)から大坂へ走り、1868年(明治1)赤報隊に参加し、名を池田勝馬と改めて第一遊軍隊配属となった。1870年黒川金山の採掘に着目、調査の建白がいれられて甲斐に入ったが、日限どおりに帰隊しえなかったため脱隊の罪で翌年伊豆国(静岡県)加茂郡で逮捕され、以前の悪事も露顕して10月14日斬刑(ざんけい)に処せられた。墓所は笛吹市御坂町の浄竜寺にある。
[飯田文弥]
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