鼠小僧次郎吉(読み)ねずみこぞうじろきち

改訂新版 世界大百科事典 「鼠小僧次郎吉」の意味・わかりやすい解説

鼠小僧次郎吉 (ねずみこぞうじろきち)
生没年:1797?-1832(寛政9?-天保3)

江戸の著名盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲義賊として仕立てられ,ますます著名となった。
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実録本《鼠小僧実記》は実在の稲葉小僧(1785年捕縛)と鼠小僧とをつきまぜて物語に仕上げている。この書によれば,神田豊島町の紀伊国屋藤左衛門の子に生まれ,貧に困って捨子となり,博徒鼠の吉兵衛に拾われ,幸蔵と名づけられて育つ。20歳のころ上方へ行き次郎吉と変名,博徒淀辰と畳屋三右衛門を頼り,義賊を志し,江戸へ帰って盗みを働き,やがて淀辰が捕らわれて詮議がきびしくなり,高崎へのがれるが大宮で召し捕られ,引回しのうえ小塚原で獄門に処せられるのが筋である。江戸末期の諸大名奥向きの放漫と庶民困窮を描出し,義賊がぬけめなく立ち回る点に享受者の共感があった。2世松林(しようりん)伯円は〈泥棒伯円〉と呼ばれるほど白浪物(しらなみもの)講釈を得意とし,その演目の一つが《緑林(みどりがはやし)五漢録--鼠小僧》で,これをもとに河竹黙阿弥が脚色した歌舞伎が《鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》である。その初演の年,同名題の合巻を紅英堂から出版(柳水亭種清編,2世歌川国貞画),市井の小盗賊を英雄視したところに幕末の時代相が反映されている。
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百科事典マイペディア 「鼠小僧次郎吉」の意味・わかりやすい解説

鼠小僧次郎吉【ねずみこぞうじろきち】

江戸後期の盗賊。武家屋敷を専門に盗みをはたらいたが,1832年に捕らえられ処刑された。2世松林(しょうりん)伯円の講釈や河竹黙阿弥歌舞伎狂言《鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》などで義賊として脚色され有名になった。

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デジタル大辞泉プラス 「鼠小僧次郎吉」の解説

鼠小僧次郎吉

佐藤信(まこと)による戯曲。初演は演劇センター68/70(のちの黒テント)(1970年)。1971年、第16回「新劇」岸田戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内の鼠小僧次郎吉の言及

【回向院】より

…ほかに松平定信が1793年(寛政5)に建てた水子塚,江戸相撲の発祥地を記念して建てられた力塚,猫塚等があり,1962年には家畜諸動物百万頭回向堂の竣工をみた。国学者加藤千蔭,戯作者山東京伝,浄瑠璃語り竹本義太夫など有名人の墓も多く,なかでも義賊ともてはやされた盗賊鼠小僧次郎吉の墓は,勝負師などの縁起をかつぐ人たちに人気があり,墓石を欠いて持っていると願い事がかなうという俗信の対象となっている。また江戸時代には諸国の霊仏・霊宝を迎えて行う出開帳の開催場所として知られ,見世物の興行もあずかり多数の参詣人で賑わった。…

【盗賊】より

…例えば尾張藩の判例は,武家長屋に忍び入って刀,衣類を盗んだ藩士,同役などの鼻紙袋から金子(きんす)を盗んだ藩士,寺の賽銭(さいせん)を盗もうとした藩士など,武士による盗犯の事例がまれではなかったことを伝えている。著名な盗賊鼠小僧次郎吉は,諸大名を中心に延べ100余軒の武家屋敷から計3000余両を盗み,1832年(天保3)に獄門に処せられたが,義賊であったという証拠はない。歌舞伎の白浪物は盗賊を美化して描いているが,なかでも《白浪五人男》の日本駄右衛門は,東海道を荒らし回った大盗賊団の首領で,1747年(延享4)に獄門となった浜島庄兵衛(異名,日本左衛門)をモデルとしている。…

※「鼠小僧次郎吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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