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鼠小僧次郎吉 ねずみこぞうじろきち

江戸・東京人物辞典の解説

鼠小僧次郎吉

1797?〜1832(??年〜天保3年)【盗賊大名屋敷を狙い、いつしか義賊として巷で人気に。 江戸後期の盗賊。もとは職人だったと言われる。大名屋敷を中心に盗みに入り、人を傷つけない義賊として評判になり、鼠小僧と呼ばれた。平戸藩主松浦氏など大名にも人気があった。大名を狙ったのは、警備が甘いうえ、体面上被害届が出にくいのが好都合であったためで、盗んだ金は博打などに使い果たした。最後に上野小幡藩松平家に入ったところを捕縛された。鈴ヶ森で磔にされたが、派手な死に装束を纏っていたと言われる。のち講談・小説などの題材となった。

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百科事典マイペディアの解説

鼠小僧次郎吉【ねずみこぞうじろきち】

江戸後期の盗賊。武家屋敷を専門に盗みをはたらいたが,1832年に捕らえられ処刑された。2世松林(しょうりん)伯円の講釈河竹黙阿弥歌舞伎狂言鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》などで義賊として脚色され有名になった。

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デジタル大辞泉プラスの解説

鼠小僧次郎吉

佐藤信(まこと)による戯曲初演は演劇センター68/70(のちの黒テント)(1970年)。1971年、第16回「新劇岸田戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)を受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

ねずみこぞうじろきち【鼠小僧次郎吉】

1797?‐1832(寛政9?‐天保3)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊として仕立てられ,ますます著名となった。【南 和男】
[伝承と作品化]
 実録本《鼠小僧実記》は実在の稲葉小僧(1785年捕縛)と鼠小僧とをつきまぜて物語に仕上げている。

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世界大百科事典内の鼠小僧次郎吉の言及

【回向院】より

…ほかに松平定信が1793年(寛政5)に建てた水子塚,江戸相撲の発祥地を記念して建てられた力塚,猫塚等があり,1962年には家畜諸動物百万頭回向堂の竣工をみた。国学者加藤千蔭,戯作者山東京伝,浄瑠璃語り竹本義太夫など有名人の墓も多く,なかでも義賊ともてはやされた盗賊鼠小僧次郎吉の墓は,勝負師などの縁起をかつぐ人たちに人気があり,墓石を欠いて持っていると願い事がかなうという俗信の対象となっている。また江戸時代には諸国の霊仏・霊宝を迎えて行う出開帳の開催場所として知られ,見世物の興行もあずかり多数の参詣人で賑わった。…

【盗賊】より

…例えば尾張藩の判例は,武家長屋に忍び入って刀,衣類を盗んだ藩士,同役などの鼻紙袋から金子(きんす)を盗んだ藩士,寺の賽銭(さいせん)を盗もうとした藩士など,武士による盗犯の事例がまれではなかったことを伝えている。著名な盗賊鼠小僧次郎吉は,諸大名を中心に延べ100余軒の武家屋敷から計3000余両を盗み,1832年(天保3)に獄門に処せられたが,義賊であったという証拠はない。歌舞伎の白浪物は盗賊を美化して描いているが,なかでも《白浪五人男》の日本駄右衛門は,東海道を荒らし回った大盗賊団の首領で,1747年(延享4)に獄門となった浜島庄兵衛(異名,日本左衛門)をモデルとしている。…

※「鼠小僧次郎吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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