龍昌寺(読み)りゆうしようじ

日本歴史地名大系 「龍昌寺」の解説

龍昌寺
りゆうしようじ

[現在地名]鴻巣市箕田

箕田みだ地区の南西にある。自在山龍珠りゆうじゆ院と号し、近世から明治初年までは院号を通称した。真言宗豊山派本尊は不動明王。「風土記稿」では開山は光範と記し、寺伝では永長二年(一〇九七)の開山というが根拠は不明。現名古屋市中区真福寺文庫蔵の永禄三年(一五六〇)六月五日の日付のある胎蔵界略頌奥書に「武州ミタノ龍珠院住持 玄俊連之了」とある。天正一九年(一五九一)一一月徳川家康から箕田郷内で朱印地五石を寄進された(「徳川家康朱印状」当寺蔵)。寛永一〇年(一六三三)の関東真言宗新義寺院本末寺帳には騎西きさい(現騎西町)竜花りゆうげ院が「本寺」と称するとあり、末寺に箕田村満願まんがん寺がみえる。


龍昌寺
りゆうしようじ

[現在地名]岡垣町高倉

孔大寺こだいじ山の東麓にある。玉雲山と号し曹洞宗。本尊は釈迦如来おか城の城主麻生弘繁の創建で、開山は筑前出身で、長門大寧だいねい(現山口県長門市)住持永満。永満は永正二年(一五〇五)に没しており、当寺の建立時期は明応―文亀(一四九二―一五〇四)頃とされる(続風土記)。天文二二年(一五五三)八月日の宗像御代寺社武家知行帳(占部文書/宗像市史 史料編二)に「二町七反内丸見郷五反三十石也 龍生寺」とみえる。


龍昌寺
りゆうしようじ

[現在地名]寿都郡寿都町字歌棄町 歌棄

寿都湾を臨む歌棄うたすつ町の通称裏街にある。近世のヲタスツ運上屋元の地。曹洞宗。円通山と号する。本尊は釈迦如来。一八五八年(安政五年)一〇月箱館高龍こうりゆう寺の出願により幕府の許可を受け、同年一一月に地所の割渡しを受けた(「同役衆進達留」国会図書館蔵)。堂宇の建立は五九年六月中とされ(「渡島後志胆振三国寺院明細帳」道立文書館蔵)、地所割渡しにあたった寿都詰箱館奉行支配調役長谷川儀三郎を開基、高龍寺一四世梅庭を開山とする。


龍昌寺
りゆうしようじ

[現在地名]山田町後楽町

旧山田町の北はずれ寺小路てらこうじの奥にある。虎洞山と号し曹洞宗で、本尊は釈迦如来。江戸時代には瑞雲ずいうん(現宮古市)の末で報恩ほうおん(現盛岡市)の支配下にあった(邦内郷村志)。寛永一〇年(一六三三)の創建で、延宝年間(一六七三―八一)瑞雲寺七世文朔を開山としたといわれる。寺宝として狩野派の手になる十六羅漢軸物一六幅、狩野元信筆という竜神一対がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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