三遊亭 円右(3代目)(読み)サンユウテイ エンウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三遊亭 円右(3代目)」の解説

三遊亭 円右(3代目)
サンユウテイ エンウ


職業
落語家

本名
粕谷 泰三(カスヤ タイゾウ)

別名
前名=古今亭 寿輔(ココンテイ ジュスケ)

生年月日
大正12年 12月8日

出生地
東京都 杉並区

学歴
工手学校卒

経歴
昭和16年橘ノ小円三の名で端席に出る。22年5代目古今亭今輔の門に入り、寿輔で二ツ目。30年3代目三遊亭円右を襲名真打ち昇進師匠の今輔譲りの“おばあさん落語”を受け継いで発展させ、「銀婚旅行」「七夕おばあさん」「温泉おばさん」といった新作でちょっと色気のあるおばあさんを演じ、とぼけた味わいで人気を博した。平成18年1月東京・池袋演芸場トリで「日蓮記」を演じたのが最後の高座となった。つるつる頭がトレードマークで、ライオン「エメロン石鹸」やP&Gの成人用紙おむつ「アテント」のCMに長く出演して親しまれた。

没年月日
平成18年 3月22日 (2006年)

親族
岳父=古今亭 今輔(5代目)

伝記
円右のなんともかとも艶噺(つやばなし) 三遊亭 円右 著(発行元 三樹書房 ’87発行)


三遊亭 円右(初代)
サンユウテイ エンウ


職業
落語家

本名
沢木 勘次郎

別名
前名=三遊亭 橘六,三遊亭 三橘,後名=三遊亭 円朝(2代目)(サンユウテイ エンチョウ)

生年月日
万延1年 6月15日

出生地
江戸・本郷(東京都)

経歴
初代三遊亭円橘の門人で橘六から三橘となり、後に円朝門下となって明治15年初代円右を名乗る。16年真打ちに昇進。38年落語研究会の発起人に名を連ね、三遊派の旗手として4代目橘家円喬と並び称された。大正期には3代目柳家小さんと名声を競い、13年には2代目円朝を襲名したが病床にあり、わずか10日間はなしただけで高座を務めることなく死去した。十八番は「唐茄子屋」「火事息子」など。

没年月日
大正13年 11月2日 (1924年)

家族
長男=三遊亭 円右(2代目)

伝記
逆境を拓く―苦難をバネにした先達の生きざま 宮本 惇夫 著,川鉄商事広報室 編(発行元 産業能率大学出版部 ’87発行)


三遊亭 円右(2代目)
サンユウテイ エンウ


職業
落語家

本名
沢木 松太郎

別名
前名=三遊亭 円子,三遊亭 小円右

生年月日
明治24年 11月28日

出生地
東京市本郷区(東京都 文京区)

経歴
円子、小円右を経て、大正13年に円右を襲名。父の溺愛で大成しなかったという。

没年月日
昭和26年 8月27日 (1951年)

家族
父=三遊亭 円右(初代)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「三遊亭 円右(3代目)」の解説

三遊亭 円右(1代目)
サンユウテイ エンウ

明治・大正期の落語家



生年
万延1年6月15日(1860年)

没年
大正13(1924)年11月2日

出生地
江戸・本郷

本名
沢木 勘次郎

別名
前名=三遊亭 橘六,三遊亭 三橘,後名=三遊亭 円朝(2代目)(サンユウテイ エンチョウ)

経歴
初代三遊亭円橘の門人で橘六から三橘となり、後に円朝門下となって明治15年初代円右を名乗る。16年真打ちに昇進。38年落語研究会の発起人に名を連ね、三遊派の旗手として4代目橘家円喬と並び称された。大正期には3代目柳家小さんと名声を競い、13年には2代目円朝を襲名したが病床にあり、わずか10日間はなしただけで高座を務めることなく死去した。十八番は「唐茄子屋」「火事息子」など。


三遊亭 円右(2代目)
サンユウテイ エンウ

大正・昭和期の落語家



生年
明治24(1891)年11月28日

没年
昭和26(1951)年8月27日

出生地
東京市本郷区(現・東京都文京区)

本名
沢木 松太郎

別名
前名=三遊亭 円子,三遊亭 小円右

経歴
初代の実子。円子、小円右を経て、大正13年に円右を襲名。晩年は郵便局につとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三遊亭 円右(3代目)」の意味・わかりやすい解説

三遊亭円右
さんゆうていえんう
(1860―1924)

明治・大正の落語家。初代。本名沢木勘次郎。2代三遊亭円橘(えんきつ)門下で橘六(きつろく)から三橘(さんきつ)となり、のち三遊亭円朝(えんちょう)門下となって1883年(明治16)円右と改名。非凡な芸で名人といわれ、大正時代に3代柳家小さんと並び称せられた。関東大震災後、2代円朝を継いだが高座に上らず病没した。2代円右(1891―1951)は初代の実子が継いだが大成しなかった。3代(1923―2006)は本名粕谷泰三。5代古今亭今輔(ここんていいますけ)門下で、寿輔(じゅすけ)から3代目を襲名。

[関山和夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三遊亭 円右(3代目)」の解説

三遊亭円右(初代) さんゆうてい-えんう

1860-1924 明治-大正時代の落語家。
万延元年6月15日生まれ。2代三遊亭円橘(えんきつ)に入門,明治15年円右を名のり,翌年真打となる。4代橘家円喬,3代柳家小さんとならぶ看板として活躍。大正13年2代三遊亭円朝を襲名するが,高座にあがることなく同年11月2日病没した。65歳。江戸出身。本名は沢木勘次郎。

三遊亭円右(3代) さんゆうてい-えんう

1923-2006 昭和後期-平成時代の落語家。
大正12年12月8日生まれ。昭和22年5代古今亭今輔に入門,寿輔を名のり,30年3代円右を襲名して真打となる。師の娘婿。「七夕おばあさん」などの新作落語を演じた。平成18年3月22日死去。82歳。東京出身。本名は粕谷泰三。

三遊亭円右(2代) さんゆうてい-えんう

1891-1951 大正-昭和時代前期の落語家。
明治24年11月28日生まれ。初代三遊亭円右の長男。大正6年真打となり,翌年小円右を名のる。13年2代円右を襲名。晩年は落語をやめて郵便局につとめた。昭和26年8月27日死去。59歳。東京出身。本名は沢木松太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三遊亭 円右(3代目)」の解説

三遊亭 円右(初代) (さんゆうてい えんう)

生年月日:1860年6月15日
明治時代;大正時代の落語家
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三遊亭 円右(3代目)の言及

【落語】より


[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。初代三遊亭円左(1855‐1911)が,本格の噺の確立をめざして,落語・講談速記界の第一人者今村次郎に相談したことから,4代橘家円喬(1865‐1912),初代三遊亭円右(1860‐1924),初代三遊亭小円朝(1857‐1923),4代橘家円蔵(1864‐1922),3代柳家小さん(1857‐1903)とともに1905年に第1次落語研究会結成の運びとなった。こういう芸道精進から東京落語は黄金時代に入った。…

※「三遊亭 円右(3代目)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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