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三遊亭円朝 さんゆううてい えんちょう

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美術人名辞典の解説

三遊亭円朝

落語家。三遊・本名出渕次郎吉。二代目円生門人。安政三年円朝と名のり真打となる。明治33年(1900)歿。

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デジタル大辞泉の解説

さんゆうてい‐えんちょう〔サンイウテイヱンテウ〕【三遊亭円朝】

[1839~1900]初世。幕末から明治の落語家。江戸の人。本名、出淵(いずぶち)次郎吉。人情噺(ばなし)大道具・鳴り物入りで演じて人気を博したが、のち素噺(すばなし)に転向。近代落語の祖。代表作「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」「塩原多助一代記」など。

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百科事典マイペディアの解説

三遊亭円朝【さんゆうていえんちょう】

落語家。普通初世円朝をさす。初代〔1839-1900〕は本名出淵(いづぶち)次郎吉。幕末〜明治期の名人。江戸に生まれ,2代三遊亭円生に入門,17歳で真打となり円朝を名乗る。
→関連項目御伽婢子鏑木清方言文一致三題噺剪灯新話林家正蔵牡丹灯記

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朝日日本歴史人物事典の解説

三遊亭円朝

没年:明治33.8.11(1900)
生年:天保10.4.1(1839.5.13)
幕末明治期の落語家。本名出淵次郎吉。江戸湯島切通町生まれ。父落語家橘屋円太郎,母すみ。小円太を名のり7歳で初高座。9歳で父の師2代目三遊亭円生に入門,嘉永2(1849)年,二ツ目に昇進。一時業を廃し,歌川国芳内弟子として浮世絵を学んだが,安政2(1855)年,再度出勤,円朝と改名。場末の席で真を打つ。安政5年,都心の席でも真打となり,画技を生かした道具入り正本芝居咄で人気を得たが,師円生のいじめが刺激となり,創作を志し,第1作「累ケ淵後日の怪談」を高座にかけた。文久1(1861)年ごろには,粋興連に参加し三題咄を創り,河竹黙阿弥などと親交を重ねた。 維新後,芝居咄をやめ素咄に転向,「真景累ケ淵」,モーパッサン「親殺し」の翻案「名人長二」(有島武郎の母幸子の与えた翻訳による)などを次々と発表するとともに,門人を育て,三遊派の中心となった。なお明治2,3(1869,70)年には寄席での歌舞伎同様の所作を禁じる布令がたて続けに出ているのは,先見の明といえよう。明治17年,速記術普及のため『怪談牡丹灯籠』を速記本として刊行。以後,陸続と円朝の口演したものが活字となって多くの家庭で読まれ,言文一致体小説に影響を与えた。『塩原多助一代記』は劇化され,主人公多助は修身の教科書にも取り上げられた。その後は山岡鉄舟らに参禅,ついに頓悟し,芸境も高みに達したが,同24年,席亭の横暴に抗議して寄席より退き,30年に門弟のスケとして復帰したものの発病,進行性麻痺と続発性脳髄炎のため死去。谷中全生庵に葬る。<著作>『世界文庫/円朝全集』全13巻(復刻,1963~64)<参考文献>永井啓夫『増訂版/三遊亭円朝

(延広真治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さんゆうていえんちょう【三遊亭円朝】

1839‐1900(天保10‐明治33)
落語家。本名は出淵(いづぶち)次郎吉。2代三遊亭円生門下の音曲師,橘屋(たちばなや)円太郎こと出淵長蔵の子として,江戸湯島切通しに生まれた。父と同じく円生門下となり,7歳のとき小円太と名のって初高座をつとめ人気者になったが,母親と義兄に芸人になるのを反対され,紙商兼両替商の葛西屋へ奉公に出た。しかし,病気になって帰宅し,改めて玄冶店(げんやだな)(現在の日本橋人形町あたり)の歌川国芳のもとで画家としての修業を積んだ。

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大辞林 第三版の解説

さんゆうていえんちょう【三遊亭円朝】

(初世)(1839~1900) 落語家。江戸の生まれ。本名、出淵次郎吉。「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」「塩原多助」など芝居咄・怪談咄・人情咄を自作自演。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三遊亭円朝
さんゆうていえんちょう

[生]天保10(1839).4.1. 江戸
[没]1900.8.11. 東京
落語家。本名出淵 (いずぶち) 次郎吉。2世三遊亭円生の門下で,7歳のとき小円太と名のって初高座。のち奉公に出たり,浮世絵師一勇斎国芳の弟子になったりしたが,再び芸界に戻り,円朝と改名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三遊亭円朝
さんゆうていえんちょう
(1839―1900)

落語家。本名出淵(いずぶち)次郎吉。2代三遊亭円生(えんしょう)門人の橘家(たちばなや)円太郎の子として天保(てんぽう)10年4月1日江戸・湯島に生まれる。父と同じ2代円生に師事し、7歳で小円太と名のって寄席(よせ)に出演したが、異父兄の臨済宗の僧玄昌の忠告で休席し、池の端の紙屋葛西(かさい)屋へ奉公したり、玄冶店(げんやだな)の一勇斎国芳(くによし)に浮世絵を学んだりした。また、玄昌の住む谷中(やなか)の長安寺に母と同居し、仏教の修学にも励んだ。これが後世における円朝の怪談噺(ばなし)創作に強く影響した。のち、やはり落語家で身をたてることにし、2代円生門に復帰、17歳のときに円朝と改名して場末回りの真打(しんうち)となった。くふうを重ねて道具入り芝居噺を演じ、自作自演でしだいに人気を獲得、1864年(元治1)26歳で両国垢離場(こりば)の昼席の真打となり、以後年とともに名声をあげ、三遊派の実力者となった。72年(明治5)弟子の円楽に3代円生を継がせ、道具噺の道具いっさいを譲り、自らは扇1本の素噺(すばなし)に転向した。
 多数の円朝の創作のなかで代表的なものは、『真景累ヶ淵(かさねがふち)』『怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)』『怪談乳房榎(ちぶさえのき)』の長編怪談噺三部作をはじめ、芝居噺では『菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)』『緑林門松竹(みどりのはやしかどのまつたけ)』『双蝶々(ふたつちょうちょう)雪の子別れ』、伝記ものでは『後開榛名梅ヶ香(おくれざきはるなのうめがか)』(安中草三郎(あんなかそうざぶろう))、『塩原多助一代記』『月謡荻江一節(つきにうたうおぎえのひとふし)』、人情噺では『文七元結(ぶんしちもっとい)』『粟田口霑笛竹(あわたぐちしめすふえたけ)』『業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)』『敵討札所(かたきうちふだしょ)の霊験(れいげん)』『霧隠伊香保湯煙(きりがくれいかほのゆけむり)』『熱海土産温泉利書(あたみみやげいでゆのききがき)』『政談月の鏡』『闇夜(やみよ)の梅』『松と藤芸妓(げいしゃ)の替紋(かえもん)』『操競女学校(みさおくらべおんながっこう)』『梅若七兵衛』、翻案ものでは『名人くらべ』『西洋 人情噺英国孝子(えいこくこうし)ジョージスミス之伝(のでん)』『松操美人(まつのみさおびじん)の生埋(いきうめ)』『欧州小説黄薔薇(こうしょうび)』『名人長二』などであり、『福禄寿(ふくろくじゅ)』など北海道で取材したものもある。このほか『鰍沢(かじかざわ)』『大仏餅(もち)』『黄金(こがね)餅』『死神』『心眼』『士族の商法』『にゅう』『笑い茸(たけ)』など多くの落し噺も口演しているが、彼の高座にはすべて聴く者の胸を打つような技巧と手法が考案されているので、いずれも人情噺的な性格を具備している。
 円朝は1891年(明治24)53歳のとき高座を退き、座敷専門の数年間を送った。98年に門弟支援のため高座に復帰したが、めぼしい寄席を巡回したのち発病し、明治33年8月11日下谷(したや)車坂町の自宅で没した。62歳。辞世として「目を閉ぢて聞き定めけり露の音」という句が伝えられているが、谷中の全生庵(ぜんしょうあん)にある墓碑には上五句が「聾(みみし)ひて」と改作されている。『累ヶ淵』『牡丹灯籠』などで描写した因果応報や輪廻(りんね)の思想を背景に、円朝が到達した解脱(げだつ)の境地がこの句に示されている。円朝は、怪談噺、芝居噺、人情噺、落し噺など江戸落語を集大成し、近代落語発展への道を開いたが、ことに人情噺という高度な話芸を完成して落語の次元を高めた功績は大きい。また、山岡鉄舟(てっしゅう)、井上馨(かおる)らとも親交し、落語家の社会的地位を向上させた。なお、2代目は1924年(大正13)に初代三遊亭円右(えんう)が襲名したが、高座に上らずまもなく病没した。[関山和夫]
『『円朝全集』全13巻(1928・春陽堂) ▽『三遊亭円朝全集』7巻・別巻1(1975~76・角川書店) ▽永井啓夫著『三遊亭圓朝』(1962・青蛙房)』

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世界大百科事典内の三遊亭円朝の言及

【怪談】より

…また昭和に入っては宇野信夫作《巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)》(1935年9月,6世菊五郎主演)などが好評を博した。【小池 章太郎】
[怪談噺]
 人情噺を得意とする落語家が,たとえば三遊亭円朝作《怪談牡丹灯籠》(《怪異談牡丹灯籠》)や《真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)》のような因果・因縁物語の途中や終りにおいて幽霊を出す噺をいう。怪談噺を口演する落語家は,高座に背景をかざって,すごい調子で噺をつづけ,いよいよ凄惨の気がクライマックスに達したところで,高座の明りを消し,細い竹の先につけた焼酎火(しようちゆうび)を,高く,低く動かして,いっそう凄味を増し,やがて,高座に青い照明を投げかけると,ドロドロの太鼓とともに,演者の肩のあたりに前座の扮した幽霊があらわれ,ざんばら髪で,両方の手を胸のあたりに七三に下げ,白装束のうすもののすそをひいて,あっちへふわり,こっちへふわり,すり足で歩き,しばらく女性や子どもをおびやかしたあげく,〈はて,おそろしき執念じゃなあ〉というせりふとともに,ぱっと高座をあかるくして,〈まず,今晩はこれぎり……〉と終演した。…

【怪異談牡丹灯籠】より

…中国呉山の宗吉(そうきつ)(瞿佑,1341‐1427)の小説《剪灯新話(せんとうしんわ)》を,1666年(寛文6)浅井了意が《御伽婢子(おとぎぼうこ)》として翻案。その中の《牡丹灯記》は,山東京伝,鶴屋南北も脚色しているが,明治の人情噺の名人三遊亭円朝が《怪談牡丹灯籠》として創作した。麴町の旗本飯島平左衛門の娘お露は,萩原新三郎に恋をしたが,父に許されず,こがれ死にして幽霊となり,毎夜牡丹灯籠をさげて新三郎のもとへ通った。…

【累物】より

…文化・文政期(1804‐30)には,鬼怒川での累殺しと怨霊のケレン的活躍を見せ場にして怪談の要素が強くなり《阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしようのすがたみ)》(1813),《慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)》(《伊達の十役》,1815),《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》(清元《累》を含む,1823)など多くの作品が登場。その後《新累女千種花嫁(しんかさねちぐさのはなよめ)》(1867),《雨夜伽累譚(あまよのとぎかさねものがたり)》(1879)は馬琴の伝奇小説趣味をなぞったもので,明治期の三遊亭円朝原作《真景累ヶ淵》で,怪奇を神経的なものからくるとみるなど,因果譚に発した累物の近代的到達を示している。伊達騒動【富田 鉄之助】。…

【言文一致】より

…これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。1887‐88年ころあいついだ二葉亭四迷の《浮雲》,山田美妙の《夏木立》などがこれである。…

【三題噺】より

…文久年間(1861‐64)には大いに流行し,多くの愛好家グループが生まれた。なかでも狂言作者の2世河竹新七(のちの河竹黙阿弥),戯作者の仮名垣魯文,初代三遊亭円朝らが加わった〈粋狂連〉は名高く,今日に伝わる作品を残した。三遊亭円朝作という《芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)》《鰍沢(かじかざわ)》《大仏餅》などは,こうした三題噺愛好の時勢のなかから生まれた名作である。…

【速記本】より

…講談のものは講談本ともいう。1884年刊,三遊亭円朝口演《怪談牡丹灯籠》を嚆矢(こうし)とする。これは,田鎖(たくさり)綱紀の速記講習会を卒業した若林玵蔵(かんぞう)と酒井昇造との速記の効用宣伝を目的にした仕事だったが,この成功によって,《塩原多助一代記》《英国孝子之伝》など円朝の速記本をはじめ,落語,講談の速記本が相ついで刊行され,89年には東京金蘭社から落語・講談速記専門誌《百花園》も創刊され,速記本は,伝統的な話芸にとって欠かせない存在となった。…

【落語】より


[幕末の江戸落語]
 1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…

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