服部嘉香(読み)はっとりよしか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「服部嘉香」の意味・わかりやすい解説

服部嘉香
はっとりよしか
(1886―1975)

詩人歌人、国語学者。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。のちに早大教授。文学博士。同級に土岐善麿(ときぜんまろ)、若山牧水(わかやまぼくすい)、北原白秋(きたはらはくしゅう)らがおり、明治末から大正初期詩壇で、口語自由詩運動の論客として活躍。『現代詩人』『詩世紀』を主宰したほか、歌論、俳論国語国字問題など活躍は多彩。おもな詩集に『幻影花びら』(1953)、『銹朱(さびしゅ)の影』(1955)、『バレエへの招宴』(1967)など。評論に『口語詩小史』(1963)、『国語・国字・文章』(1944)などがある。

[原 子朗 2018年10月19日]

『『明治文学全集61 明治詩人集2』(1975・筑摩書房)』

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20世紀日本人名事典 「服部嘉香」の解説

服部 嘉香
ハットリ ヨシカ

明治〜昭和期の詩人,歌人,詩論家,国語学者 梅光女学院大学名誉教授。



生年
明治19(1886)年4月4日

没年
昭和50(1975)年5月10日

出生地
東京市日本橋区浜町(現・東京都中央区)

別名
筆名=服部 嘉香(ハットリ カコウ),初期別号=楠山,幼名=浜二郎

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔明治41年〕卒

学位〔年〕
文学博士(早稲田大学)〔昭和35年〕

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小緩章〔昭和42年〕

経歴
在学中早稲田文学社に関係し、卒業後関西大学講師となるが、昭和12年早大教授に就任。中学時代から詩歌を作り、明治38年「口語詩小史」を刊行。40年詩草社を創立し、45年詩歌研究会を結成、大正2年「現代詩文」を創刊。昭和25年には「詩世紀」を創刊。28年「幻影の花びら」を刊行し、以後「銹朱の影」「星雲分裂史」「バレーへの招宴」などを刊行。歌人としては窪田空穂に師事し「まひる野」会員となる。35年歌集「夜鹿集」を刊行した。また国語問題協議会理事、日本詩人クラブ理事長なども歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部嘉香」の解説

服部嘉香 はっとり-よしか

1886-1975 明治-昭和時代の詩人,国語学者。
明治19年4月4日生まれ。口語自由詩運動をすすめる。「現代詩文」「詩世紀」を主宰。早大教授,のち梅光女学院大教授。窪田空穂(うつぼ)門下の歌人としても知られる。昭和50年5月10日死去。89歳。東京出身。早大卒。号は楠山。詩集に「幻影の花びら」,歌集に「夜鹿集」,評論に「口語詩小史」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「服部嘉香」の解説

服部 嘉香 (はっとり よしか)

生年月日:1886年4月4日
明治時代-昭和時代の詩人;国語学者
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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