日本語の表記を簡単にやさしくし,正しい日本語を日本人が読み書き話すようにしようとするために生じてくる,種々の文化上の問題をさす。
明治初年ヨーロッパと交通が開けてみると,アルファベットの簡単な西洋語にくらべて,日本語が多くの漢字を学習せねばならず,文字学習の負担が大きいことを見て,これを改革しなければならないと考える人々が現れた。それとともに仮名遣いや送り仮名法の問題も考えられ,江戸時代封建制度の下にはなはだしくなった各地の方言を統一して一つの標準語を確立しなければならなくなった。これらが国語国字問題発生の原因である。
漢字は表意文字であり,1字1語を表すので,多くの文字を記憶しなければ文章が書けない。しかも中国語と日本語は,言語の構造を異にするので,中国文字をそのまま取り入れることは,本来の日本語の性格に合致しない点がある。しかし日本には縄文時代以来文字がなく,弥生時代に至って朝鮮から漢字を輸入して以来,漢字は,つねに先進国の高度の文化の伝達者としての役割をにない,日本文化にとって不可欠の役割を果たしたので,日本語は漢字・漢語の影響から脱却することは容易でない。
漢字は大辞典で1万5000字,中辞典で1万字,小辞典で7000字くらい収録されている。その中でひじょうに多く使われるのは1000字であり,3000字知っていれば,日常普通の読書には事欠かない。しかし,この学習が負担になるといわれる。また,日本語の音節構造は中国語より簡単で,音節の数も中国語より少ないので,中国語を日本語化して表現すると中国語にある発音上の区別が日本語では失われ,同音字がひじょうに多くなる。たとえば,ショウの仮名にあたる文字は,小,少,升,正,生,召,庄,床,承,昇,性,相,省,昭など多くあり,コウの仮名にあたる字は350字以上ある。そのうえ,漢音・呉音による同一文字の読分けを覚えねばならず(たとえば性--ショウとセイ,今--コンとキン,など),音と訓とを読み分けねばならない(たとえば床--ショウとユカとトコなど)。同音字が多い結果,同音語が多く,耳で聞いてわからない言葉がひじょうに多い。光度・高度・硬度,公訴・控訴,製糸工場・製紙工場など。そして義務教育修了者の書ける漢字の数は従来の教育では平均550字である。これらの文字の記憶に費やす多くの時間を物事の理解や推理の訓練に向ければ,日本人の思考力はもっと進歩するであろうといわれる。その打開の方向は二つある。(1)使用する漢字をしだいに減らしていって不便さを少なくしようとするもの。(2)漢字を全廃して,ローマ字,仮名文字または全然新しい文字を使うようにしようとするもの。
漢字は多くの不便の点があるとしても,千数百年間,高い知識の伝達者として大きな役割を果たしてきたので,今急にこれを全廃することは大きな不測の害を各方面に与えるだろう。日本語の文化語の大部分は漢語で形成されている。もしこれを全面的に排除するならば,やまと言葉はこれの代用をすることができず,結局ヨーロッパ語がこれに取って代わることになり,日本語の語彙の体系は大きい混乱に陥る。漢字は強い造語力をもっていて新しい概念を形成しやすいし,表現が簡潔で紙面の節約になるし,印象が鮮明でいちど記憶すれば便利さが多い。したがって,あまり多くの漢字を無制限に使うことをせず,一定のわくの中の漢字を使用すればよい。新聞の調査では,2000字を用意すれば使用漢字量の98%まではすますことができる。したがって,漢字の負担といっても無限大なのではない。そこで官庁や新聞で使用する文字を制限しようとしたものが当用漢字1850字(1946告示)で,義務教育のうちに書取りができるようにというのが教育漢字881字(1948告示)であるが,その選択にあたって使用頻度調査とか,複合語形成度調査とかを事前におこなわずに定めたもので,選択の基準は確立されていなかった。その後(1951),人名に用いる漢字92字が別表として追加され,後述のように字数はさらに増える。また,これらのうち字体の複雑なものは簡略なものに改められた。この1850字で書けない言葉は別の言葉に言いかえが求められ,名詞,動詞のほかはなるべく仮名で書き,動植物名,副詞はすべて仮名で書くこととされた。しかし現在までのところ適当な言いかえのできないものが少なくない。たとえば語彙とか禁錮など。漢字節減の今後の問題は,字数を何字とするのが最も有効か,その字数の中にどのような文字を入れるべきか,教育においてはいかにすべきか,というようなことである。
漢字を使用している限り日本語の文字改革と言語改革は成功しないと見る考えから,仮名文字専用論と,ローマ字専用論とが現れた。新しい文字を作るという試みは多数あるが,いずれも,文字の歴史性という面から通用性をもたない。仮名文字論は,〈カナモジカイ〉によって推進されているが,その論拠はつぎのようなものである。仮名は50字を学習すれば足りる。仮名による表記は,ローマ字100字の文を,57字ですませる。したがって仮名タイプの熟練者は,普通の人の話をそのままタイプできる。これは,仮名がいかに日本語の音節構造に適した文字であるかを証明している。また,語の複合の場合,連濁の関係などはローマ字によるよりよくわかる。世界の各国で,話したままタイプできるのは,日本語を仮名タイプで打つときだけだという。仮名によればライノタイプの利用も可能である。ローマ字を用いることによってヨーロッパ人に日本語が親しみやすくなるということは,大きい論拠にできない。日本語はまず第1に1億の日本人のためのものであり,日本語に適した文字を用いることが最も必要である。仮名は日本でくふう案出された文字である。
仮名は音節文字であるから,単音に分解して書くことができず,拗音(ようおん)や二重子音などが書けない。元来文字は言語表現の補助にすぎないから,自国でくふうされた文字ということにこだわってはならない。現在高い文化を保っている国で,自国でくふうした文字を用いているところはない。それよりも表音文字として最も進んだ単音文字を用いるべきである。文字は起源的にはすべて象形文字から起こっている。漢字もエジプト文字も同様である。仮名は漢字から音節文字へと転化した。エジプト文字も音節文字であるフェニキア文字へ転化した。それがさらにローマ字へ転化したので,単音文字が最も進歩した文字だという。日本語も,この単音文字を用いることにより種々の便益をうける。ローマ字は26字で,日本語はそのうちの19字で書ける。ローマ字は左横書きで最も合理的である。ローマ字を用いれば分ち書きが行われるようになり,語としての視覚印象は固定して漢字に比べてとくに不鮮明になることはない。ローマ字を用いれば,まぎらわしい同音異義語は自然に用いられなくなり,漢字の使用についてまわる同音語の混乱を避けることができるようになる。そのほか,タイプライターをたやすく使用できるし,ライノタイプ,ステノタイプも利用できる,のみならず日本語の構造をよく示すことができるようになる。たとえば,yak-a(焼か),yak-i(焼き),yak-u(焼く),yak-e(焼け),など動詞の語幹と語尾との区別が,仮名によるよりもいっそう鮮明に理解される。
このようにローマ字で日本語をつづることはすでに16世紀の末,来日したポルトガル人の宣教師たちが行っており,江戸時代の蘭学者も行った。明治初年来日して英和,和英辞典を編集したJ.C.ヘボンの方式が,後にヘボン式の名で呼ばれる。これは英語式なつづり方である。これに対して田中館愛橘,田丸卓郎は日本式つづり方を主張した。ヘボン式は英米文学者や外交官などによって支持された。日本式は物理学者やヨーロッパの言語学者によって支持された。この両者のいずれを正しいとすべきかについては,1930年から37年にかけて論争が行われた結果,内閣訓令として公布された折衷的な案を訓令式と呼ぶ。この論議はその後も長くつづけられ,ことに第2次世界大戦後,アメリカの勢力が強く日本に及ぶようになって,ヘボン式は勢いを盛りかえし,両者の競争は激しくなった。戦後のローマ字運動の進展としては,ローマ字教育を小学校の正科として取り扱うようにさせたこと,その後,日本式,ヘボン式のローマ字のつづり方を相互にゆずり合って訓令式に統一する線を打ち出したことである。しかし最近のワープロの普及は,ローマ字論に対して大きな打撃を与えている。
→ローマ字
明治時代以来正しいとされてきた仮名遣いは,江戸時代の初めに契沖が,《万葉集》の研究中発見した方式によっており,今から約1000年前の発音を反映する書き方であるから,語形の変化に応じにくいために,ハ行活用の動詞語尾など,現代語の発音とまったく離れている(変化の例。顔kafo→kawo→kao,思ふomofu→omou→omoː,縮むtidimu→tʃidʒimu→tʃiʒimu,蝶tefu→tewu→teu→teo→tyo→tʃoːなど)。仮名は本来表音的文字であるから,語形の変化にしたがって表記も変えるべきであるというのが,仮名遣い改訂論の根拠であった。しかし,これに対しては,保守的な人々から反対があり,国語表記の伝統を守るべきである,現代語だけの便利主義の思想はよくない,発音主義は品がない,実際上発音どおりに書くことはできない,発音どおりに書くには標準語の発音を決めなければいけないが,まだそれはできていない,外国でもつづり字改良運動は成功していない,歴史的仮名遣いはむずかしくない,などの論があったが,第2次大戦後の混乱時に現代かなづかい案が内閣訓令として公布され(1946),官庁の文書に用いられるにいたり,新聞,雑誌がこれに協力し,義務教育の教科書がこれに追随した。契沖の定めた歴史的仮名遣いは,はじめて契沖が唱えて実行してから200年以上を経過し,楫取魚彦(かとりなひこ)の《古言梯》その他の補訂があり,明治時代に入ってからは国語調査会の《疑問仮名遣》が作られて,問題になる単語の仮名の正しい表記の仕方を研究して定めてある(〈疑問仮名遣い〉の項目参照)。それゆえ,一つの安定した体系を保っているものであるが,すでに発音と仮名との離れが大きいうえ,歴史的仮名遣いだけが日本語の古来の唯一の仮名遣いなのではない。奈良時代には87の音節の区別があって,それを万葉仮名で書き分けていた。平安時代には67の音節があって,それのうち,清音と濁音との区別は書き分けず47を書き分けた。その後,鎌倉時代になって,オとヲ,エとヱ,イとヰなどが同音になって初めて仮名遣いが問題になったのであり,44音の時代に,47字を使い分けようというのが定家仮名遣いである。これらのことをみると,発音は時代によって変わり,表記法もそれに伴って変遷してきている。したがって仮名遣いの改訂は絶対なすべからずということはありえない。それは古い習慣への執着にすぎない面がある。しかし,現代かなづかいが,はたして,合理的に,かつ用意深く制定されたかといえば,必ずしもそうでなく,条項の間の不統一なところ,〈ずづぢじ〉の使い分けが放置してあることなど,なお問題を残している。実行されて30年以上を経過し,大勢としてはもはや動かしがたく根をおろしただけに,細かい点について責任ある決定をしていく必要がある。1982年3月に発足した第15期国語審議会では,現代かなづかいの見直しが進められている。
漢字の字音についても,従来は,字音仮名遣いがあったが,これも,発音的に改められた。元来,字音仮名遣いは,実際に古書につけられている字音のふり仮名を集めるよりも,韻書の反切(はんせつ)や,韻図などによって,理論的に割り出したものが多く,実際にあたっては専門家でも細かい点では決定困難なものがかなりある。それゆえ,これを現代の発音によって定めるということはさしつかえないものである。
→仮名遣い
第2次世界大戦直後,アメリカ占領軍は,日本の戦争遂行を,日本に文盲が多く,漢字使用が多すぎるため,民衆が正しい情報を得られなかった結果だろうとみた。そして日本民主化のため,やさしい表現が必要とみて,漢字の追放ないし制限,仮名遣いの表音化を必要と考えた。それに助けられて,山本有三らが中心となって国語表記の改革を行った。国語審議会は,当用漢字,教育漢字,漢字の音訓表を定め,現代かなづかいを決定し,新聞と教育に大きな力を及ぼした。それは社会に定着しつつあったが,1959年送りがな法の発表を機縁に,戦後の改革に対する批判が盛り上がり,国語問題協議会が結成されて,小汀利得を中心として反対運動が開始された。文部省も戦後の施策に対する改善を国語審議会に委嘱し,第8,9,10期国語審議会は音訓表と送りがなについて審議し1972年答申,これは73年〈当用漢字音訓表〉〈送り仮名のつけ方〉として告示された。前者では音訓の〈制限〉を〈目安〉として改め,音訓357,熟字訓106を加え,後者では送り方を削減するとともに大幅な許容を認めた。
第11期以降の国語審議会では,当用漢字の字種,字体について検討が行われ,1977年1月〈新漢字表試案〉が決定された。これは1946年の〈当用漢字表〉を全面的に再検討して社会生活に適応した新しい漢字表を目指したもので,従来の当用漢字数1850字の中から芋,繭,朕など33字を抜き,猿,凸,凹,靴など83字を入れて1900字とした。
第13期国語審議会はさらに検討を加えて,1979年3月1926字の〈常用漢字表案〉を文部大臣に答申した。答申後,新表が〈一般の社会生活における漢字使用の目安〉としたことに対して目安はあいまいだとし,字種についても増やす意見や現状維持など各界からの反響があった。第14期国語審議会(1979-81)は81年3月,1945字の〈常用漢字表〉を文部大臣に答申した。政府はこれを受け,同年10月1日,内閣から告示,実施に踏み切った(なお,人名用漢字別表の枠は,1976年の追加を経て81年には166字まで拡大された)。
戦後の国語国字問題は,敗戦直後の混乱期に十分な調査研究をする余裕もなく,またローマ字運動家,仮名文字運動家たちの主張の線でまとめられたため,漢字仮名交り文を中心とすると種々の問題があり,ことに国語の表記全体を軽視する風潮を社会一般に与えた点に問題がある。しかし当用漢字以来の漢字の制限や現代かなづかいは,すでに30年以上にわたって実施され,実際に定着してきた。一方,コンピューターの発達によって漢字の自動読取り,自動印刷などの問題が現実化し,それらといかに調和させて国字を定めていくかが重要な課題になってきている。
国語問題のうちでは,文字に関する問題がたえず中心的な位置を占めてきたが,戦後,話し言葉に対する一般の関心が深まってきた。それと同時に標準語の確立が要求されるが,現在のところラジオ,テレビのアナウンスが一つの標準的な音声言語となりつつあり,全国に大きい影響を与えている。これに関してNHK放送文化研究所が用語研究のため,各種の調査を行っている。一方,ラジオ,テレビにおいては関西弁が大きく登場してきており,将来の日本語のアクセント形態は,東西二大アクセントの対立から,混合へと向かう気運にある。語彙的には民主主義的気運の一般化に伴い,敬語の簡易化が進められ,皇室敬語は簡単になり,男女の言葉の差も少なくなってきている。しかし,標準語としてたとえば〈ムツカシイ〉と〈ムズカシイ〉とのいずれをとるかというような問題になると未解決のままにされている。
→標準語
執筆者:大野 晋
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