エビデンス・ベースト・メディシンevidence based medicineの略で、「根拠に基づく医療」と訳される。「根拠」に「科学的」「医学的」などと補う場合も多い。1991年にカナダ・マクマスター大学のゴードン・ガイアットGordon Guyatt(1953― )が提唱し、世界的に浸透した診療の考え方である。一般的には、信頼性の高い臨床試験で有効性の根拠が確認された治療を患者に適用する意味で使われている。日本には1990年代なかばに導入され、これに伴って診療ガイドラインの整備などが進んだ。
ガイアットらは、EBMを「個々の患者のケアに関わる意志の決定に、最新かつ最良の根拠を、一貫性をもち明示的な態度で思慮深く用いること」と定義している。具体的には、(1)目の前の患者の問題の定式化、(2)問題についての情報収集(文献検索)、(3)得られた情報の批判的吟味(信頼性評価)、(4)患者への適用の判断という4段階の手順を経る。
このうち(2)の情報収集で、おもな対象となる医学論文については、その信頼性が階層化されている。患者ら被験者を無作為にグループ分けし介入の影響を調べたランダム化比較試験(RCT)やそれらの統合解析結果(系統的レビュー)は信頼性が高く、権威者の臨床経験などは低いとされる。
EBMが提唱される以前、多くの医師は医学的知識と過去の診療経験に基づき患者を診療してきた。しかし1980年代のアメリカで同一手術でも施設によって実施数が異なることが報告され、適切な医療が格差なしに提供されているのかという疑問が生じた。臨床判断が実証的裏づけのない権威者の見解で行われてきたという反省もあり、患者集団のデータを定量的に解析して適切な臨床判断につなげる学問である臨床疫学の重要性が再認識された。EBMの興隆は個々の診療への臨床疫学の応用として始まった。
EBMの浸透には社会的背景も大きく貢献した。初のRCTといわれる1948年の抗結核薬ストレプトマイシンの試験から半世紀が経過し、数十万件のRCT結果が蓄積されていたことに加え、イギリスのCochrane Library(コクランライブラリー)やアメリカのMEDLINE(メドライン)のように膨大な量の医学論文データベースが整備され、インターネットを通じてこれらにアクセスすることで、容易に文献検索ができるようになった。
一方で、過去の経緯とエビデンス重視の姿勢のためにEBMはしばしば誤解を含んだ批判にさらされてきた。「信頼性の高いエビデンスを見つけてすべての患者に適用しようとする医療」という受け止め方や、「医師の裁量権を侵す」「医師の専門性をおとしめる」という拒否反応がそれである。だが提唱者たちはEBMを、(1)利用可能な最善の科学的根拠、(2)患者の価値観および期待、(3)臨床的な専門技能、の3要素の統合と説明している。EBMにおいて患者の価値観は排除されているわけではなく、むしろ治療方針を決める重要な要因に位置づけられている。
もっとも医師のエビデンス重視の姿勢が患者の体験への理解や患者とのコミュニケーション軽視につながったという反省は当のEBM専門家からもあがった。1998年には、イギリス・オックスフォード大学のトリシャ・グリーンハルTrisha Greenhalgh(1959― )が患者の体験を重視する「ナラティブ・ベースト・メディシン(物語と対話に基づく医療、narrative based medicine:NBM)」を提唱した。NBMはEBMと相補的な関係をなす診療概念と説明されている。
[高野 聡 2023年1月19日]
(田辺功 朝日新聞記者 / 2007年)
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