日本大百科全書(ニッポニカ) 「EU市民権」の意味・わかりやすい解説
EU市民権
いーゆーしみんけん
ヨーロッパ連合(EU)加盟国国籍をもつ者すべてが有する権利。EU市民権は加盟国の国籍を補完するものであり、それにとってかわるものではない。1993年に発効したマーストリヒト条約によって確立された。
EU市民権のおもな内容は以下の通りである(マーストリヒト条約第8条)。(1)加盟国の領域内を自由に移動し居住する権利、(2)居住先加盟国における地方自治体選挙およびヨーロッパ議会(欧州議会)選挙における選挙権および被選挙権、(3)国籍を有する加盟国が代表を置いていない第三国において、他の加盟国の外交または領事機関による保護を受けられる権利、(4)欧州議会への請願権およびオンブズマンへの申立権、(5)EU諸機関などにEUの公用語のうちいずれの言語でも手紙を書き、また同一の言語で返事を受け取る権利である。
2017年時点で、EU市民権に基づく移動および居住の自由は、国境を越える経済活動に従事しているかどうかにかかわりなく保障される。したがって、年金生活者や学生なども、一時的または継続的に他の加盟国に移動し滞在することが可能である。2004年および2007年に旧東欧諸国がEUに加盟した際には、新規加盟国からの労働者の自由移動を規制する経過措置を、他の加盟国が設けることが認められたが、これらの経過措置はすでに終了している。またEU市民の家族(配偶者や未成年の子など)の場合、たとえその者がEU市民権をもっていなくても、EU市民権に準じた権利が派生的権利として認められるようになっている。たとえばEU市民に同伴または合流する家族は域内移動が可能になる。
EU市民権という用語がさし示す内容は、一般に理解されている「市民権」とは異なる。今日、市民権とは、主権国家の正規の成員資格およびそれに基づく権利・義務を意味する。また市民権を有する者は、正規の成員である主権国家に対して帰属意識をもち、同じく市民権を有する者同士でアイデンティティを共有することが想定されている。それに対しEU市民権は加盟国の国籍に付随する資格であり、すべてのEU市民の間で自らの国籍国と同様にEUに対するアイデンティティが共有されているとはいいがたい。そのことは2016年にイギリスで実施されたEU残留・離脱をめぐる国民投票で離脱が選択されたことで、明らかになった。もともとイギリス国内にはEUに懐疑的な意見が根強かった。とはいえ、EU離脱はEU市民権に基づく権利の喪失をともなう。そのため残留を訴えていたキャメロン首相(当時)は、離脱が選択されるとは想定していなかった。現在まで、欧州議会の権限拡大およびその欧州議会への選挙・被選挙権などを通して、EU市民としてのアイデンティティを強化する試みは続けられている。しかしいまだその成果は不十分なままである。
[柄谷利恵子 2018年6月19日]