発展途上国がテイク・オフ(離陸)して自律的な成長過程に入るために,先進国がいろいろな手段(借款供与や輸入市場開放など)を通じて支援することを意味する。かつては経済援助economic aid,economic assistance,開発援助development assistanceといういい方(後者のほうが新しい)が一般的で,第2次大戦後から1950年代にかけて,〈援助aid,assistance〉といういい方が開発経済学の文献で多く使用されたが,60年代に入ってからは,援助する側と援助される側が対等であるというニュアンスをこめて,南北間の経済協力economic co-operationまたは開発協力development co-operationといういい方が一般的になってきている。
先進国から発展途上国への支援は通常2国間で行われ(2国間援助bilateral assistance),先進国の援助政策調整のフォーラムとしてDAC(ダツク)(開発援助委員会。OECD(経済協力開発機構)の下部機構)が結成されている。また世界銀行や地域開発銀行(アジア開発銀行やアフリカ開発銀行,米州開発銀行)が,先進国の出資金やみずから国際金融市場で債券を発行して得た資金をもとに,途上国に融資を行っているが,これは通常,多国間援助multilateral assistanceといわれる。先進国から発展途上国への資金の流れを援助主体別にみると,その大宗を占めるのはDAC加盟諸国である(1970年代の実績で全体の約8割)が,共産圏諸国(ソ連や中国)や産油国も援助供与を行っている。共産圏諸国や産油国は,自国の経済開発のために,先進国から援助を受ける一方で,より開発の遅れた国に援助を与えている。
一方,援助を受け入れる発展途上国側は,UNCTAD(アンクタツド)(国連貿易開発会議)の場を通じて,いろいろな要求を行っている。当初は,(1)一次産品の販路と価格の安定,(2)工業製品輸出に対する特恵関税の付与,(3)政府開発援助official development assistance(略称ODA。OECDの定義によれば,先進国の公的機関による援助で,グラント・エレメント(〈借款〉の項参照)25%以上のもの)の質量の拡充という三大基調要求に限られていたが,70年代以降,こうした要求に加え,新国際経済秩序(NIEO(ニエオ))の樹立,国際通貨制度改革討議への参画,オイル・マネーの還流メカニズムの確立など,多岐にわたる事項を要求している。
以上に述べたDAC,国際開発金融機関(世銀および地域開発銀行),UNCTADが,南北間の国際開発金融協力の制度的枠組みを形成している。
先進国から発展途上国に対する経済援助が開始されたのは,途上国が先進国の植民地支配から脱して独立を達成した第2次大戦以降のことである。戦後の経済援助の歴史は,第1期-勃興期(1945-59),第2期-躍進期(1960-72),第3期-転換期(1973以降)の三つに時代区分できる。
第1期は,東西冷戦下の米ソの援助競争に特色づけられる。アメリカは1947年トルーマン・ドクトリンによって共産圏への対決姿勢を明確にうち出し,自由世界の盟主としてマーシャル・プラン(ヨーロッパの復興援助)とポイント・フォア・プログラム(途上国援助。トルーマン大統領が1949年1月の大統領就任演説で表明)による積極的な援助活動を展開した。一方,スターリンの死(1953)後,登場したソ連のフルシチョフ政権は平和共存の旗印のもとに,アメリカに追いつく戦略を強調し,途上国援助に力を入れはじめた。これに対抗して,アメリカのアイゼンハワー政権は,軍事援助より経済援助を重視する姿勢に転換し,ここに米ソの第三世界の陣取合戦が激化した。
第2期は,東西平和共存の本格化と南北問題の幕あけを契機として,国際開発協力体制が整備された時代である。アメリカのケネディ大統領の提案によって,60年代が〈国連開発の10年〉と決議され,またDACやUNCTADなど国際開発協力体制の基本的枠組みが構築された。しかし60年代の後半ころからアメリカの経済力の相対的低下により援助意欲はしだいに後退していく。先進国から途上国への資金の流れの推移をみると,政府開発援助のシェアが低下し,60年代末にはそのシェアが民間資金(直接投資と輸出信用)を下回るにいたった。
第3期になると,石油危機によるスタグフレーションの定着で先進国の援助余力が低下し,一方で発展途上国の要求がエスカレートし,しだいに南北間の対立と相克が目だってくる。73年の石油危機以降の時期は,南北間経済協力が転換局面を迎え混迷の様相を呈してきている。
一般的に援助供与国が援助受入国に援助を与える動機と理念は,次の四つに分けられる。第1は,援助供与を通じて自国の経済利益の拡大(輸出市場や資源輸入の確保,民間企業進出への支援など)を図るという〈国家経済利益ドクトリン〉である。第2は,国際政治外交手段として援助政策を活用するものであり,たとえばアメリカの場合のように共産圏勢力の浸透阻止(政治的安全保障ドクトリン)を目的としたり,またイギリス,フランスの場合のように,旧植民地との連帯強化のために援助が供与される。第3は,人道主義的な立場から慈善的な配慮に基づいて救済が行われるものであり,前の二つが国益擁護を前面にうち出すのとは対照的に,世界共同体理念に立脚した〈国連ドクトリン〉の考え方である。第4は,国際的な相互依存関係の高まりを背景とした〈国際協調ドクトリン〉である。南の開発は,貧困救済のみならず,北側の資源確保にも資する一石二鳥の効果があるとして,国際連帯性の強化を図る必要性と,その戦略的意義を強調する考え方である。
いずれの国の場合もこれらの動機と目的が複合しており,また時代の移り変りによって重点のおきどころが変化している。1950年代には第1の国家経済利益ドクトリンと第2の政治的安全保障ドクトリンが援助政策推進の原動力であったが,60年代以降は第3の国連ドクトリンや第4の国際協調ドクトリンがクローズアップされてきている。
これに対し,援助される側の援助を受け入れる論理はUNCTADの哲学に集約されている。一次産品価格の工業製品価格に対する交易条件悪化の仮説(プレビッシュ命題)を理論的根拠として,公的規制と介入によって所得再分配が必要であると主張する(プレビッシュ報告)。こうした考え方と,〈植民地時代における搾取の補償をするのは先進国の義務である〉とするラディカルな思想とがあいまって,その要求が一段と先鋭化している。
以上のように国際開発協力はめまぐるしい変遷を遂げ現在にいたっているが,いろいろな問題点に逢着し,難しい課題をかかえている。
第1は,経済援助の効果があがらず,南北問題の解決(先進国と途上国との経済格差縮小)の前途が楽観を許さなくなっていることである。それどころか悲観的な見通しが主流を占めている。80年代の援助のバイブルといわれる〈ブラント報告〉(西ドイツ元首相W. ブラントが中心となって,1980年南と北の生残りのための戦略を提言したもの)は,(1)北から南へ,大規模資金移転を行う,(2)先進国本位に運営されてきた国際開発機構を,途上国の実情を勘案したものに再編成する,(3)産油国と共産圏を包含した南北対話を推進するなど抜本的な措置を講じる必要性を主張し,こうした発想の転換が行われないかぎり,前途は悲観的であると警鐘を鳴らしている。
第2は,開発思考が多様化し,開発戦略の座標軸が百家争鳴的になっていることである。世界銀行ではケインズ的な資本投下一本やりの思考から,貧困ラインの引上げや国内の再分配を重視するアプローチに傾斜しているし,また世界共同体理念的な開発思考がしだいに普及してきている。こうしたなかで,援助浪費説が台頭してきて援助に対する懐疑的主張も増え,途上国の援助受入れのための制度改革などを条件として支援すべきであるとの考え方が強くなっている。
このように国際開発戦略がいきづまるなかで,経済大国日本に対する内外からの風あたりが強くなり,批判の声が高まっている。それは,(1)DAC諸国のなかで日本の援助が相対的に少なく,応分のコスト負担をしていない(DAC諸国が現在掲げている政府開発援助の対GNP比の目標0.7%に対し,日本の実績は1970年代以降0.3~0.4%くらいの水準),(2)エコノミック・アニマル的な援助政策決定を行って,自国の利益しか考えない,(3)民間輸出業界と相手国政府が癒着して,不正・腐敗が行われて国民の血税がむだづかいされている,(4)経済協力の機構とメカニズムが複雑すぎる,という4点に集約される。
→借款 →南北問題
執筆者:松井 謙
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
国際間の経済上の協力をいい、とくに先進国の開発途上国に対する経済協力をさすことが多い。この場合、資金の流れを通しての協力、貿易を通しての協力、さらに技術や教育面での協力などを含んでいる。
資金面での協力は、通常、経済援助といわれるもので、これを担当している経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC(ダック))の定義に従えば、(1)政府開発援助(ODA)(二国間贈与、無償資金供与、技術協力、有利な条件での直接借款、国際機関への出資・拠出など)、(2)その他の政府資金(1年を超える輸出信用、直接投資金融、国際機関への融資など)、(3)民間資金(1年を超える輸出信用、直接投資、国際機関に対する融資、非営利団体による贈与など)からなっている。本来、私的利潤動機で左右される民間資金を援助に含めることには問題があるが、資金の利用可能性やその機能に着目すれば、これもまた開発途上国に貢献しているといえよう。
貿易面での協力とは、先進国が関税、非関税両面において輸入障壁を軽減し、開発途上国の商品に市場を開放する政策をさしている。1997年後半以降、深刻化したアジアの通貨・金融危機に際しても、資金的協力の規模、被協力国の構造改革などに焦点があてられているが、最終的には融資返済のために輸出拡大が不可欠であり、これを可能とする先進国、とくに日本の輸入拡大を通しての協力が重要である。
国際間の経済上の協力という点では、先進国、開発途上国を問わず、世界的な経済危機に際会しての多数国間での経済協調も、一種の経済協力といってよい。先進国首脳会議で毎年議論されてきた財政金融政策、為替政策を巡っての各国間での調整や、2008年におきた「リーマン・ショック」後のG20(主要20か国・地域)による政策協調が、その例である。
[村上 敦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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