YS11(読み)わいえすいちいち

共同通信ニュース用語解説 「YS11」の解説

YS11

戦後、官民共同出資で設立された航空機メーカー「日本航空機製造」(1982年解散)が開発した双発のターボプロップ機。64年東京五輪では、全日空が試作2号機を使い沖縄から鹿児島、宮崎、北海道へ聖火を空輸した。65年に航空会社への納入を開始。海外にも輸出されたが、74年に計182機で生産を終えた。老朽化に伴い2006年、日本エアコミューターの沖永良部―鹿児島便を最後に、国内の民間定期路線から引退。11年には海上保安庁での運用も終えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「YS11」の意味・わかりやすい解説

YS-11(わいえすいちいち)
わいえすいちいち

日本航空機製造会社(NAMC)が生産した短距離用双発ターボプロップ旅客機。YSとは輸送機設計研究協会の略称、11はエンジン主翼面積のそれぞれ採用された案の番号の組合せである。一般には「ワイエスじゅういち」とよばれる。日本で初めて本格的に開発された旅客機で、第二次世界大戦後はT-1ジェット練習機に続く2番目の量産型国産機である。第二次世界大戦後、7年間の空白期間を置いて再開された日本の航空工業が、アメリカ機のライセンス生産で得た技術と設備を利用して民間輸送機を生産しようとする意向が1953年(昭和28)ごろから強くなった。1957年には政府の補助金を得て、DC-3の代替機を目標にした中型旅客機のオペレーションリサーチ(OR)が行われた。その結果、1200メートル級の滑走路が使えるSTOL(エストール)性能をもつこと、乗客数60人程度、主翼面積95平方メートル、エンジンはロールスロイス・ダートの双発機、といった基本構想が得られた。

 1958年、民間・政府共同出資の日本航空機製造会社が設立され、計画を引き継いで本格的開発作業に入った。その結果、自重の超過を防ぐため胴体直径を約0.5メートル細い2.9メートルとし、客席配置も5列から4列に減らしてごく平凡な機体となったが、この基本仕様によって1962年2月から試作機の製作に入り7月に完成、8月30日初飛行を終えた。その後、型式(かたしき)証明取得のためのテストが行われたが、初めての国産旅客機のため種々の問題があって、予定より1年遅れた1964年8月に型式証明を取得した。この間、航空会社からの予備注文を受け、1963年から量産に入った。初就航は1965年4月であるが、その前に、1964年の東京オリンピックのため沖縄から本土への聖火輸送をしている。

 YS-11開発の目的の一つであった輸出にも力を注ぎ、アメリカ、フィリピン、南米などに合計75機が輸出された。ほかに、日本の民間航空会社で定期路線等に就航した後、外国の航空会社等に売却されたものが50機以上ある。国内では民間航空会社のほか、防衛庁(現在の防衛省)、海上保安庁、国土交通省などの官庁で使用された。機体のわりに乗客数が多く、客席もゆったりし、操縦性、安定性もよいなど、外国製のターボプロップ機よりも優れた点も少なくないが、経済性に優れたターボファン装備のジェット旅客機の進出や政府の熱意の減退から、1973年、結局182機で生産が打ち切られた。

 国土交通省航空局は、2001年(平成13)1月から航空旅客輸送に提供されている航空機に対して、航空機衝突防止装置の装備を義務づけた。国内の航空会社の航空機はYS-11以外の旅客輸送機にはすべて装備されているため、対象はYS-11だけということであった。2003年9月時点でYS-11は日本エアコミューターが11機保有して旅客輸送に従事していたが、YS-11の経過措置期限は2006年12月31日であり、2007年1月1日以降はそのままの状態では運行できない。そのため、日本エアコミューターは、2006年9月30日をもってYS-11による定期旅客輸送を打ち切った。これにより国内航空会社の旅客輸送用のYS-11はすべて姿を消した。

[落合一夫]

『横倉潤著『翔べ!YS-11――世界を飛んだ日本の翼』(2004・小学館)』『エアライナークラブ編『YS-11物語――日本が生んだ旅客機182機の歩みと現在』(2006・JTBパブリッシング)』


YS-11(わいえすじゅういち)
わいえすじゅういち

日本航空機製造会社が生産した短距離用双発ターボプロップ旅客機。正しくは「ワイエスいちいち」。

[編集部]

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改訂新版 世界大百科事典 「YS11」の意味・わかりやすい解説

YS11 (ワイエスじゅういち)

第2次世界大戦後の日本で初めて開発された双発ターボプロップ輸送機。エンジン,プロペラその他若干の装備品を除いて国内のメーカーが協同して設計製作した。YSは設計にあたった輸送機設計協会の頭文字,11は機体1号,エンジン1号の意味だから,本来は“いちいち”と読むのが正しい。原型機は1962年8月30日に初飛行。戦後最初の国産輸送機のため開発は難航したが,ターボプロップ双発,大直径プロペラをつけて低速の推力を増大して離陸滑走距離を1000m程度に下げ,客席数を60(最大64)と当時の中型輸送機より10席近く多くしたため,国内はもちろん,アメリカを含む外国からも注文があった。最終的な生産数は182機,うち76機が13ヵ国に輸出された。なお,生産は政府民間共同出資の日本航空機製造株式会社があたり,この英語頭文字NAMCをつけて型式をNAMC YS11A(Aは生産機)と呼ぶ。機体型式は低翼単葉のふつうのものだが,脚はエンジン短胴部へ入れ,胴体が太く,主翼はアスペクト比の大きい直線テーパー翼を採用,形態の特徴として,かなり大きい背びれをつけ,それに続いて台形の垂直尾翼があり,胴体後端下面がはね上がっている。エンジンはロールス・ロイスの3060馬力ターボプロップ双発,機体全幅32.0m,全長26.3m,巡航速度474km/h。
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百科事典マイペディア 「YS11」の意味・わかりやすい解説

YS11【ワイエスじゅういち】

日本で開発(第2次大戦後初)された双発ターボプロップ短距離中型輸送機。YSは,国産民間機設置のため1956年通商産業省(当時)が設立した財団法人輸送機設計研究協会(東京・駒場に設置)の名称に由来する。1962年8月初飛行,1965年4月国内線に就航。製作は日本航空機製造を中心に各航空機メーカーの協力による。短距離離着陸性などすぐれた特長をもち,ほぼ7機種のシリーズが生産された。1972年生産中止までに182機つくられ,うち76機は米国,東南アジア,中南米に輸出された。2006年9月,日本国内の民間定期路線から引退。
→関連項目航空宇宙工業旅客機

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「YS11」の意味・わかりやすい解説

YS-11
ワイエスじゅういち

「日本航空機製造YS-11」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のYS11の言及

【航空宇宙工業】より

…以来25年間,日本の航空機工業はアメリカの強力な支援を受けながら,戦闘機,軍用機,エンジンなどのライセンス生産を懸命にこなして,新しい技術の修得に努めた。その成果は,まずジェット練習機T1の独自開発,次いで,初の国産旅客機であるYS11型機となって結実した。YS11は64‐74年に182機生産されただけで,事業としては失敗に終わったが,その後の航空機技術の発展に大きく貢献し,1965年以降,各種の国産機の開発が推進されるようになった(たとえば三菱重工業のMU2型機)。…

【日本航空機製造[株]】より

…日本初の国産の民間航空輸送機YS11の開発・生産・販売のために,1959年に〈航空機工業振興法〉(1958公布)に基づき設立された半官半民の特殊法人。83年解散。…

※「YS11」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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