アンベードカル(読み)あんべーどかる(英語表記)Bhimrao Ramji Ambedkar

デジタル大辞泉 「アンベードカル」の意味・読み・例文・類語

アンベードカル(Bhīmrāo Rāmjī Ambedkar)

[1891~1956]インドの社会改革運動家・政治家。独立インド初代法務大臣。不可触民集団一つである「マハール」の出身。米・英国に留学後、不可触民解放運動に挺身ていしん。最晩年はマハールカースト成員約30万人とともに仏教改宗し、新仏教運動の祖となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンベードカル」の意味・わかりやすい解説

アンベードカル
あんべーどかる
Bhimrao Ramji Ambedkar
(1891―1956)

インドの社会改革運動家、政治家。デカン西部の大カーストで、かつて不可触民カーストの一つとされていた「マハール」の出身。ボンベイ(現、ムンバイ)の大学を卒業したあとアメリカ、イギリスに留学。1920年ごろから不可触民制撤廃運動に献身。社会改革団体や政党を組織し、大衆示威運動を指導した。独立達成よりも社会改革を優先させるという立場から、ガンディーの指導する国民会議派の民族運動を批判。1930~1932年のイギリス・インド円卓会議に、被抑圧階級の代表として出席した。インド独立後は初代ネルー内閣の法相となる。また、憲法起草委員会の委員長として共和国憲法の制定に中心的な役割を果たした。この間、下層民の教育向上にも尽力し、シッダールタ・カレッジをはじめ数多くの教育機関、教育施設を創設した。なお、不可触民制を是認するヒンドゥー教を棄(す)てる決意を1935年に表明していたが、死の2か月前の1956年10月に数十万の大衆とともに仏教へ改宗した。アンベードカルの仏教はカースト制度を否定し、社会貢献を強調しており、従来の仏教と区別して新仏教(ネオ・ブッディズム)とよばれることがあるが、改宗者自らを単に「仏教徒」と称する。インドの仏教徒の大部分新仏教徒である。

[山崎元一 2016年11月18日]

『荒松雄著『三人のインド人――ガンジー、ネール、アンベドカル』(1972・柏樹社)』『アナント・パイ編、S・S・リージ作、村越末男訳『アンベードカル物語』(1985・解放出版社)』『山崎元一著『インド社会と新仏教――アンベードカルの人と思想』(1988・刀水書房)』『山崎元一・吉村玲子訳『インド――解放の思想と文学(5) カーストの絶滅』(1994・明石書店)』『ダナンジャイ・キール著、山際素男訳『アンベードカルの生涯』新版(1995・三一書房)』『田辺繁治編著『アジアにおける宗教の再生』(1995・京都大学学術出版会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「アンベードカル」の意味・わかりやすい解説

アンベードカル
Bhīmrāo Rāmjī Ambedkar
生没年:1891-1956

インドの社会改革運動家,政治家。西部デカンの旧不可触民カーストの出身。ボンベイで大学を卒業したあと,アメリカ,イギリスに留学。1920年ごろから不可触民制撤廃運動に身を投じ,社会改革団体や政党の結成,機関紙の発行,大衆示威運動の指導などに従事した。また独立達成よりも社会改革を優先させるべきであると主張し,ガンディー,国民会議派と対立した。独立後は初代ネルー内閣の法相,憲法起草委員会の委員長として活躍。この間,多数の教育施設を創設するなど下層民の教育の向上に尽力した。また不可触民制の根源はヒンドゥー教にあるとの理由から,死の2ヵ月前に数十万の大衆とともに仏教に改宗した。彼の仏教は旧来の仏教と区別して新(ネオ)仏教と呼ばれることがある。今日のインドに住む約500万人の仏教徒の大部分は,この新改宗者たちである。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アンベードカル」の解説

アンベードカル
Bhimrao Ramji Ambedkar

1891~1956

インドの政治家,社会活動家。現マハーラーシュトラ州の「不可触民」カースト出身。ボンベイで教育を受けたのち,アメリカ,イギリスに留学し,経済や法律を学ぶ。1920年代以降,インドで不可触民の権利獲得のための政治・社会活動を行うが,その路線をめぐってガンディーインド国民会議派としばしば対立した。インド独立後は,法相,憲法起草委員会の委員長に就任。死の直前にはヒンドゥー社会への批判から仏教に改宗した。

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百科事典マイペディア 「アンベードカル」の意味・わかりやすい解説

アンベードカル

インドの政治家・社会改革運動家。出自である不可触民階層の向上,不可触民制の撤廃のため,社会・政治運動を展開した。独立インドの初代法相として憲法制定に尽力。死の直前,数十万不可触民とともに仏教に改宗。これら仏教徒は旧来の仏教の信者ではないという意味でネオ・ブッディスト(新仏教徒)とも呼ばれる。→ネオ・ブッディスト運動

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旺文社世界史事典 三訂版 「アンベードカル」の解説

アンベードカル
Bhīmrāo Rāmjī Ambēdkar

1893〜1957
現代インドの,不可触賤民出身の政治家
不可触賤民制撤廃運動に身を投じ,ガンディーらと対立した。ネルー内閣の法相や憲法起草委員会の委員長として活躍するが,晩年反カーストの考えから仏教に改宗した。現代インドの仏教徒の大半はこのときの改宗者である。

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世界大百科事典(旧版)内のアンベードカルの言及

【インド[国]】より

… インドの連邦制ではこのように中央に大幅な権限が集中している。独立直後の憲法制定議会の起草委員長を務めたアンベードカルは,1948年11月の草案提出の際に,草案の規定する連邦制は,アメリカのそれと比べてはるかに単一国家に近く,また戦時には単一の仕組みとなるようにできていて他には類を見ないと言っている。実際それは75年からの非常事態の間にほとんど単一国家として機能したといってよい。…

【インド】より

…ヒンドゥー教徒 4億5329万(82.7%)イスラム教徒 6142万(11.2%)キリスト教徒 1422万(2.6%)シク教徒 1038万(1.9%)仏教徒 381万(0.7%)ジャイナ教徒 260万(0.5%)その他(パールシー,ユダヤ教徒など) 222万(0.4%)計5億4795万    注目を引くのは仏教徒の人口である。1951年から61年の10年間に18万人から325万6000人に急上昇し,71年にはジャイナ教徒の数を凌駕するにいたったが,これは不可触民の間に四姓平等を説く仏教を広めようとした不可触民出身のアンベードカル(1891‐1956)のネオ・ブッディスト(新仏教徒)運動によるのである。【前田 専学】
【政治,法律】
 インドの政治と法律については,歴史の上からヒンドゥー,ムスリム(イスラム教徒),イギリス(植民地時代)の三つの制度に分けて述べるのが便宜である。…

【不可触民】より

…ガンディーが〈不可触民制が存在するかぎり独立しても意味がない〉と主張し,民族運動指導と同時に不可触民解放運動に献身したことはよく知られている。一方,不可触民出身のアンベードカルは,ガンディーの運動を温情主義として批判し,ガンディーがヒンドゥー教とバルナ制度の擁護にまわったのに対し,それらの破壊によって初めて不可触民は解放されると主張した。 独立後の50年に施行されたインド憲法には,不可触民制の廃止と指定カースト向上政策の実施がうたわれている。…

※「アンベードカル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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