ビクトリア様式(読み)ビクトリアようしき(その他表記)Victorian style

改訂新版 世界大百科事典 「ビクトリア様式」の意味・わかりやすい解説

ビクトリア様式 (ビクトリアようしき)
Victorian style

イギリスビクトリア女王(在位1837-1901)治下の美術様式の意であるが,厳密には,特定の形態に基づく表現様式というよりは,同時代の美術の一般的傾向を包括的に示す語として用いられる。当時のイギリスは同国史上最も輝かしい時代を迎えていた。しかし芸術的には18世紀に萌芽した中世趣味が深く浸透して19世紀後半に至るまでゴシック・リバイバル風潮が支配的であり,加えて過去の完成した諸様式の無批判な採用が折衷主義を生み,建築と工芸の様式に混乱を招いた。代表的な作例としては,まず1834年に焼失した国会議事堂ゴシック様式による再建(1840)があげられる。また,49年W.バターフィールドが設計したゴシック様式のオール・セインツ教会は,当時西欧各地で流行していた単なる考古学的発掘による古典復興の段階を脱した独創性を表し,外壁は赤と黒の煉瓦,尖頭に白石の帯装飾,内部は大理石タイル寄木張り等の斬新な手法を示した。この設計の同年,J.ラスキン名著《建築の七灯》が刊行され,バターフィールドの独創的な様式が推賞される結果を生み,いわゆるハイ・ビクトリアン・ゴシック期が到来する。62年競技設計によるハイド・パークのアルバート公記念碑,68年完成したテムズ河畔の国会議事堂もこの様式の代表作である。一方,1851年ロンドンで開催された万国博覧会では技師パクストンの設計による鉄とガラスクリスタル・パレスが建てられ,在来の石と煉瓦の建造法と決別した構造が全ヨーロッパの建築界に大きな反響を呼んだが,過去の様式に拘泥する建築家たちはこれを建築とは認めなかった。そして例えばロンドンの大英博物館が,壮麗なイオニア式円柱が並ぶファサードに対し,中庭に鉄とガラスの大ドームを架けた図書館を配したように,新様式や新技術はもっぱら折衷的に採用された。70年代には明快な平面性と自然主義を主張するW.モリスらの新工芸運動が興り,後のアール・ヌーボーの一源泉となったが,それもやはり機械を排した中世主義を規範とするものであった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

家とインテリアの用語がわかる辞典 「ビクトリア様式」の解説

ビクトリアようしき【ビクトリア様式】

イギリスのビクトリア女王時代(1837~1901年)の美術・工芸様式。中世回帰の風潮をきっかけに、ゴシック様式を中心とした過去の様式を折衷的に用いた。従来の石や煉瓦(れんが)などに加え、鉄・コンクリート・ガラスといった新しい工業的材料を積極的に採用したことも特徴。◇「ビクトリアン様式」ともいう。

出典 講談社家とインテリアの用語がわかる辞典について 情報

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