イギリスの批評家,社会思想家。ロンドンの裕福なワイン商人の子として生まれ,幼いころから国内やヨーロッパ旅行で父に同行し,風景美に目を開かれた。のちに文学に親しみ絵画を習い,オックスフォード大学卒業のころからは建築に興味をもった。1843年,もともと画家J.M.W.ターナーを擁護するために書き始められた《近代画家論》の第1巻を世に問うて一躍有名となった。その第2巻を書くためにイタリアなどヨーロッパ大陸を何度も訪れ,絵画,彫刻,建築を研究した結果生まれたのが《建築の七灯》(1849),《ベネチアの石》(1851-53)などであり,美術批評家としての名声は確立された。彼は〈ラファエル前派〉と呼ばれる画家たちを擁護して評論を書き,各地で講演した。《近代画家論》は60年第5巻で完結したが,それ以前は純粋な芸術美を論じてきた彼は,このころから機械文明とそれがつくり出す社会悪に反対する活動に献身するようになった。《この最後の者たちに》(1862)は,彼の思想の転機を画した論文で,自己利益でなく自己犠牲を基本とした経済学を説き,新しい社会主義ユートピアを描いたものであるが,当時は一般の嘲笑を買うだけであった。しかし彼はその後も社会主義の実践活動を続け,労働者のための大学創設にも尽力した。彼の思想や作品の文体は,のちのW.モリスやM.プルーストなどに強い感化を与えることとなった。日本では,《近代画家論》の部分訳を試みた島崎藤村にラスキンの影響がみられ,また大正時代には《ラスキン叢書》が翻訳刊行された。
執筆者:小池 滋
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イギリスの批評家。ロンドンの富裕なぶどう酒商の家に生まれる。父についてヨーロッパ大陸を訪ね、美しい風景や優れた美術、建築に接する機会に恵まれたことが彼の将来を決定した。オックスフォード大学を卒業。1842年王立美術院のターナーの作品が世評の攻撃を浴びたのを弁護する目的で書き始めた『近代画家論』5巻(1843~60)が彼の主著となった。ターナーやラファエル前派運動の理解者であった彼が、1877年のホイッスラーの作品を今度は攻撃して名誉毀損(きそん)の罪に問われ、美術界での権威を失ったのは運命の皮肉であった。その間『建築の七灯』(1849)、『ベニスの石』3巻(1851~53)などヨーロッパ建築に目を向けた彼は、それらの基礎を支える労働者の生活に関心を示し、実践的立場からの社会、経済、政治問題にも健筆を振るった。『この最後の者にも』(1862)はその方面での代表作。
[前川祐一]
『沢村寅二郎・石井正雄訳『近代画家論』(1940・弘文堂)』▽『飯塚一郎訳『この最後の者にも』(『世界の名著41』所収・1971・中央公論社)』
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…このような社会状況に対応する新しい造形を生み出すことが,この時代の芸術家の課題であり,アール・ヌーボー様式もその一つの解決であったといえる。ラスキンは工業社会が生み出す醜悪な生活環境に抗議し,ゴシックの時代の工人の伝統をよみがえらせようとした。これに呼応してW.モリスは,家具や衣服など身のまわりのもののデザインに関心を向けた。…
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[近・現代の建築理論と建築家の職能]
19世紀初めには,すでに西欧諸国では産業革命が進展しており,従前のオーダー中心の建築観では,新しい社会的要求にこたえられず,それらの課題のかなりの部分が新しく出現してきたエンジニアによって担われ,建築の中に芸術と工学技術の二極分解を生じさせ始める。その中で,ゴシック・リバイバルの論客であるイギリスのラスキン,フランスのビオレ・ル・デュクらは,反古典主義の立場を表明するとともに,建築技術における倫理性の追求という新たな課題を提起し,芸術的なるものと工学的技術との再統合を図ろうとした。彼らの論点はW.モリスによって広くデザイン一般の問題にまで敷衍(ふえん)され,さらにそれが20世紀のバウハウスに引き継がれる。…
…またその形状は,壁紙パターンや彩色文様などの平面的なもの,モールディングのように立体的なものに分類でき,その性質からは塗装や壁紙のように表面を覆うもの,構造体自体を刻んだり削り出したりするもの,ゴシック様式の窓のトレーサリー(狭間(はざま)飾り)のように構造体自体を変形させるもの,あるいは煉瓦積みのパターンのように構造体の組成自体を装飾的に扱うものに分類できる。したがって,建築の様式弁別の指標となる細部意匠の大半は建築装飾であるという考えも成立するわけで,J.ラスキンは〈装飾を行うことは建築の第一の要素である〉と述べる。しかし,装飾要素を建築の付加的・付随的要素と見て,非本質的なものと見なす考え方も存在した。…
…中世に対する賛美の念はイギリスに根強く存在し,18世紀中葉には政治家H.ウォルポールが自邸ストローベリー・ヒルをゴシック様式で建築し,この機運の先駆となった。19世紀に入るまで,ゴシック様式は廃墟を賛美するロマン主義の気風のもとで用いられていたが,ラスキンがゴシックを中世の倫理的な価値観の体現と称揚するにいたって,ゴシック復興の機運は建築を中心とする芸術一般に及んだ。19世紀前半のイギリスでは,ゴシック様式が宗教的価値をもつものと位置づけられることが多く,この点で同時代の思想運動であるオックスフォード運動とも関連をもつ。…
…ローヤル・アカデミー・スクールで知り合ったW.H.ハント,D.G.ロセッティ,J.E.ミレーの3人の画家に,彼らの学友であるコリンスンJames Collinson,彫刻家ウールナーThomas Woolner,画家スティーブンスFrederic George Stephens,ロセッティの弟の文学青年,ウィリアム・マイケル・ロセッティを加えた7名で結成された。この背景には,産業革命がもたらした社会変化を憂慮し,信仰に生きた中世の人々とそこで創り出された芸術との純粋で幸せな関係を語り,自然の中に存在する真実に従うべきと説いたラスキンや,ロマン派の詩人キーツの影響がある。またF.M.ブラウンによって紹介されたナザレ派に対する共感もあった。…
※「ラスキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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