イギリスの法学者,哲学者。弁護士の息子としてロンドンに生まれ12歳でオックスフォード大学クイーンズ・カレッジに進み,63年15歳で卒業。その後,母校でマスター・オブ・アーツを目ざすかたわら(18歳で取得),ロンドンのリンカン法曹学院で法律実務を学び,72年弁護士資格を取得。しかし弁護士業に興味がもてず,法改革,法典化の問題に取り組んだ。76年ブラックストンの《英法釈義》序論の一部を批判した《統治論断片》を匿名で出版。そこでは社会契約論,自然法論を批判するとともに,ヒューム,エルベシウスらから影響をうけた〈功利の原理principle of utility〉を提示した。この,〈正邪の判断基準は最大多数の最大幸福である〉という功利の原理を体系的に説明し,立法の分野に適用したのが,主著《道徳と立法の諸原理序説》(1780執筆,89刊行)である。幸福は快楽および苦痛のない状態とされ,快楽苦痛の種類,計算方法,法によって禁止されるべき有害な違反行為,違反行為と罰とのつりあい等が考察されている。82年に執筆された続編《法一般論》では,法および法体系の構造的特徴,各法部門の区別,法典化の問題等が検討されている。以上の立法の基礎理論に基づいて,刑法,民法,訴訟法,証拠法,国際法,憲法といった各法部門の立法原理の考察へと進み,最終的には,多少の修正を加えればどこの国にでも応用できる〈完璧な法典〉の構築を目ざした。彼は自己の立法論を実践してくれる国々を求め,ロシアに旅行したり,フランスの議会制度・司法制度の改革案を発表したりした。92年にフランス名誉市民の称号を国民議会から与えられたのはそのためであるが,フランス人権宣言には批判的であった。彼の名前が大陸諸国等で広く知られるに至ったのは,スイス人E.デュモンDumont(1759-1829)の協力,とくにベンサムの草稿を整理し仏訳した1802年《立法の理論》によるところが大きい。
他方,1791年《パノプティコン》を発表して円形の理想的刑務所建設計画の採択を政府に進言した。みずからの資金で土地を購入して計画実施の準備を進めたが,1811年,最終的に議会で不採用が決定された。晩年,議会改革を唱え,政治的急進主義者に変わったのは,この計画の失敗とも一部関係している。09年《議会改革問答集》を執筆し,17年《議会改革案》を公表。24年哲学的急進派の機関誌《ウェストミンスター評論》を創刊。30年,政治改革への関心の集大成であり,〈完璧な法典〉構想の最後の課題であった《憲法典》を刊行。そこでは国民主権,一院制議会,毎年改選,平等選挙区,秘密投票,普通選挙(女性,文盲は除く)を骨子とする代表民主制が主張されている。死後,彼の影響をうけた人々によってイギリスの中央・地方の行政制度,司法制度の諸改革が精力的に開始された。ベンサム主義の影響の度合いについては評価が分かれているが,彼の業績は,近代法,近代国家の在るべき姿を功利の原理からする具体的な改革案をとおして示し,実践しようとしたことにあった。
なお執筆活動は法学関係だけでなく,幅広い分野に及んだ。哲学,倫理学では,《行為の動機表》(1817),ボウリング編《義務論》(1834)等がある。経済学では,A.スミスの影響によって経済的自由主義を説いた《高利弁護論》(1787)や,植民地論,貨幣論等についての論稿がある。政治学では,ビンガム編《誤謬論》(1824)があり,ほかにも教育論,宗教論についての論稿がある。ベンサムの著述はJ.S.ミルらに影響を与えた。著述全体の中核にあるのは幸福であり,その促進を妨げる政策,法律,制度への批判,幸福の促進を阻害するために用いられる観念,思想への批判であった。
→功利主義
執筆者:深田 三徳
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イギリスの哲学者。功利主義の創始者として著名。ロンドンに生まれ、ウェストミンスター校、オックスフォード大学に学ぶ。法廷弁護士の職に飽き足らず、ロック以降のイギリス思想家やフランス啓蒙(けいもう)家の著作に親しみ、早くから利己心と慈愛の精神とを一致させる普遍的原理に思いを巡らす。ヒュームの『人性論』第3巻を読了して開眼、ハチソンらにみられた「最大多数の最大幸福」をモットーとする功利主義の原理に到達する。すなわち、行動の義務や正邪の判定は、社会全体の善への効用utilityにあるという目的論の立場をとり、しかも、善を快楽または幸福と同一視し、快楽が七つの基準によって計量可能とする快楽計算を主張して量的快楽主義を唱えたのが特色である。彼は功利の原理により英国法の改正に努力し、政治的にはのちに急進主義に接近した。主著に『政府論断章』(1776)、『道徳と立法の原理序説』(1789)など。
[杖下隆英 2015年7月21日]
『山田孝雄著『ベンサム功利説の研究』(1960・大明堂)』
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1748~1832
イギリスの倫理学者。功利主義の主唱者。主著は『道徳と立法の原理序論』(1789年)。人生の目的である幸福は,量的に測定しうるものだとし,「最大多数の最大幸福」を図ることが道徳と立法の原則でなければならないと主張。19世紀の自由主義的改革に大きな影響を及ぼした。
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…私利私欲を専一とする人間,これが経済人つまりホモ・エコノミクスの最も一般的な定義である。このような人間観は,J.ベンサム流の功利主義の思想を経由し,さらにはW.S.ジェボンズに代表されるような快楽主義の思想から影響をうけて,物欲の充足を利己的に追求する人間という考え方をうみだした。これが経済人の最も単純な定義である。…
…主として19世紀のイギリスで有力となった倫理学説,政治論であり,狭義にはJ.ベンサムの影響下にある一派の思想をさす。ベンサムは《政府論断片》(1776)のなかで,〈正邪の判断の基準は最大多数の最大幸福である〉という考えを示した。…
…18世紀後半にイギリスの思想家J.ベンサムによって唱えられた集中型の監獄(刑務所)の形式。一望監視施設(装置)とも訳す。…
…そして,こうしたルソーのむしろ断片的受容にみられるように,この時期のフランスでは,民主主義という言葉は,解放の希望を表す言葉ではあっても,建設の原理を具体的に示す言葉ではなかった。
[J.ベンサムとJ.ミル]
19世紀前半に民主主義を国家の新しい積極的な制度論原理にしようと試みたのは,J.ベンサム,J.ミル(J.S.ミルの父)の2人のイギリス功利主義者であった。まずベンサムは,世紀初めに書かれた《憲法典》で,人民主権の立場から,婦人も含めた普通選挙制を主張した。…
※「ベンサム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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