アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のナショナル・リーグのワシントン・ステイツメン、プレイヤーズ・リーグのバッファロー・バイソンズ、ナショナル・リーグのピッツバーグ・パイレーツでおもに捕手としてプレー。1894年からはパイレーツ、1901年からはフィラデルフィア・アスレチックス(現、アスレチックス)で監督として采配(さいはい)を振るった。背広姿で、50年以上も指揮をとり続けた歴代最多勝監督である。
12月22日、マサチューセッツ州イーストブルックフィールドで生まれる。1886年、ナショナル・リーグのワシントン・ステイツメンに入団。1896年までプレーしたが、準レギュラー以上の活躍をすることはできなかった。パイレーツに在籍していた1894年からは監督を兼任。現役を引退すると同時に、監督の職からも離れた。その後、ミルウォーキーにあったマイナー球団の監督をしていたが、1901年にアメリカン・リーグが発足する際に誘われ、球団所有権の一部が与えられ、そのチームをフィラデルフィアに移して加盟した。1902年、1905年にリーグ優勝、1910年、1911年、1913年とワールド・シリーズで優勝、1914年にもリーグ優勝を果たし、最初の黄金時代を築いた。しかし、1915年から7年連続最下位となる。主力選手が実力を伸ばして強くなり、年俸が高騰しそうになると放出、そして若手を育成していくという経営スタイルであった。1929年と1930年に2年連続してワールド・シリーズを制し、1931年にもリーグ優勝と、ふたたび黄金時代を迎えた後は、1932年から1950年で辞任するまでの19年間で10回も最下位となった。それでも、53年の監督在任期間は2位のトニー・ラルーサを18年も上回る歴代最長記録であり、通算勝利が歴代1位の3731まで積み上がったのも当然である。
選手としての11年間の通算成績は、出場試合723、安打659、打率2割4分5厘、本塁打5、打点265。監督としての通算成績(53年)は、3731勝3948敗、リーグ優勝9回、ワールド・シリーズ優勝5回。1937年に野球殿堂入り。
[山下 健 2025年12月16日]
『コニー・マック著、内村裕之訳『コニー・マック自伝 大リーグ生活六十六年』(1978・ベースボール・マガジン社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
冬に 4日間暖かい日が続くと 3日間寒い日が続き,また暖かい日が訪れるというように,7日の周期で寒暖が繰り返されることをいう。朝鮮半島や中国北東部の冬に典型的な気象現象で,日本でもみられる。冬のシベリ...