インドから中国に渡った翻訳僧。サンスクリット名をアモーガバジュラAmoghavajraといい、訳して不空金剛(こんごう)。不空はその略である。北インドのバラモンとも、セイロン(スリランカ)の出身ともいわれる。720年唐に至り、師の金剛智(こんごうち)(バジラボディVajrabodhi)を助けて訳経に従事した。741年南インドに戻って龍智から梵本(ぼんほん)を授かり、また真言(しんごん)の秘法を受け、746年中国に戻り、以後死ぬまで訳経と布教に従い、玄宗・粛宗(在位756~762)・代宗(在位762~779)の3代に帝師となった。『金剛頂経』(初会(しょえ))はじめ密教の経典110部143巻を訳し、中国密教の基礎をつくったほか、四大訳家の一人として翻経史上にも不滅の功績を残した。
[金岡秀友 2016年12月12日]
中国,唐代の僧で,サンスクリット名はアモーガバジュラAmoghavajra(阿目佉跋折羅と音訳)。不空金剛の略称。金剛智,善無畏によりもたらされた密教を発展拡充し中国社会に定着させた功労者。甘粛省涼州に北インドバラモン(婆羅門)系の父と康国人の母を持つ混血人として生まれ,のち外叔父に従い長安に入り,金剛智に師事する。玄宗の天宝初め,密教経典の探索と修法のためセイロン,南インドに渡り746年(天宝5),再び長安の土を踏んだ。彼の教化活動は安史の乱を契機に顕著となり,長安にとどまって乱平定の修法を行い朝廷の帰依を集めた。玄宗,粛宗,代宗に灌頂を授け宦官勢力や節度使とも結び,不動の地歩を築いた。三代の国師と仰がれ,代宗は開府儀同三司,粛国公,食邑三千戸に封じ,没後には司空と大弁正広智不空三蔵の諡(おくりな)を追贈したほど護国に徹した。またクマーラジーバ,玄奘(げんじよう)とならぶ三大訳経家に数えられるように,110部143巻の経典漢訳があり,文殊信仰の宣揚にも力を注いだ。円照が集めた《表制集》6巻がある。
執筆者:藤善 真澄
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…真言密教で用いる,根本聖典の一つ。詳しくは《金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経》といい,唐代中期に不空が漢訳したもの。如来が金剛三摩地に入って金剛界三十七尊を出生する,金剛界大曼荼羅(まんだら)の建立と,弟子を曼荼羅に引き入れる方法や羯摩,三種曼荼羅について説き,この経によって金剛界曼荼羅(両界曼荼羅)が図示される。…
…密教の経典《宿曜経》(唐の不空訳)にもとづく星占い。二十八宿,十二宮,七曜,九曜など天体の運行を考え,生誕の日により,人間一生の運命を卜知(ぼくち)し,または日時,方角の吉凶を占察する術。…
…そして,仏は正法の興隆を仁王に付嘱したと説く《仁王般若経》に基づき,仁王大斎や仁王講経が,陳代を通じて宮中で行われ,智顗(ちぎ)も講じた。隋・唐時代には,大興国寺とか大安国寺あるいは鎮国寺といった名称の寺院が各地に造建され,鎮国道場が開かれたが,とくに新しく《仁王護国般若経》を漢訳し密教に立脚した不空が国のために灌頂道場をおくにいたって,仏教の鎮護国家化は頂点に達した。 日本においてはこれらの動向をうけて660年(斉明6)5月に仁王会が行われ,677年(天武6)11月には諸国で《金光明経》《仁王経》の講説が行われ,宮中においても《金光明経》が講説されるにいたり,以後律令国家成立に密接な関係をもつようになった。…
…8世紀に至って善無畏(ぜんむい)は《大日経》を,金剛智は《金剛頂経》系の経典をそれぞれ訳して,中国に組織的な密教経典を移植した。金剛智の弟子不空は,唐代の玄宗・粛宗・代宗の3帝の信任を得て,密教を国家と不可分の関係においてその流通をはかり,また,おびただしい数の《金剛頂経》系の密教経典を翻訳して,密教を国家仏教の地位にまで引き上げた。不空の弟子恵果は,従来別個の流れであった《大日経》系の密教(大悲胎蔵法)と《金剛頂経》系の密教(金剛界法)とを両部不二とみて一元化し,のちの真言密教の思想大系の基礎をつくった。…
※「不空」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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