インドの僧。サンスクリット名はバジラボディVajrabodhi。中インドの王子とも、南インド、マウルヤ国のバラモンの出身ともいわれる。10歳でナーランダ寺で出家し、ここで大乗仏教の論書『般若燈論(はんにゃとうろん)』『百論』『十二門論』『瑜伽(ゆが)論』『唯識(ゆいしき)論』『辨中辺(べんちゅうへん)論』を学んだ。さらに南インドで『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』系の密教を修め、インド、スリランカなどを巡ったのち、航路で中国に行き、720年(開元8)洛陽(らくよう)に入った。玄宗の庇護(ひご)のもと、洛陽と長安にあって、723年から約20年間に『金剛頂瑜伽中略出念誦(りゃくしゅつねんじゅ)経』4巻をはじめ、おもに『金剛頂経』系統の経典、儀軌(ぎき)を翻訳した。『金剛頂経』などのインド密教中期の密教経典を次々に紹介したことは、善無畏(ぜんむい)による『大日(だいにち)経』の翻訳とともに、中国密教確立の端緒となった。のち、弟子の不空(ふくう)の奏請により、大弘教三蔵(だいぐきょうさんぞう)の諡号(しごう)を賜る。真言宗付法の第五祖。『大日経』系の善無畏と、『金剛頂経』系の金剛智との間に交渉があったといわれるが、不明である。
[小野塚幾澄 2016年11月18日]
中国唐代の訳経僧,密教付法の第5祖。インド摩羅耶国の王族といわれ,本名はバジュラボディVajrabodhi(跋日羅菩提)。ナーランダー寺に出家し律,唯識を修め,さらに竜智から金剛頂など真言密教の奥旨を受けた。のち唐への伝導を決意,海路により720年(開元8)長安に達し,20年の間,訳経のかたわら密教の普及につとめ,玄宗の勅命により大慈恩寺に住した。のち洛陽に没した。《金剛頂瑜伽中略出念誦経》訳出は金剛界系密教の基礎となった。
執筆者:藤善 真澄
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