日本大百科全書(ニッポニカ) 「乙竹岩造」の意味・わかりやすい解説
乙竹岩造
おとたけいわぞう
(1875―1952)
教育家。三重県に生まれる。1899年(明治32)東京高等師範学校を卒業、ただちに高師助教兼訓導となる。この時期、平出鏗二郎(こうじろう)(1869―1911)、吉田熊次らと小学校修身書を起草、あるいは芳賀矢一(はがやいち)らと修身、国語の国定教科書を編纂(へんさん)する。また『小学校教授訓練提要』を公刊。1903年(明治36)高師教授に就任。同年海外に出張し、ベルリン、イエナ、ライプツィヒ、パリ、ケンブリッジの各大学で学ぶ。帰国後、一時文部省視学官を兼任したが、1908年高師専任。『実験教育学』『新教授法』などを書き、大正年間にはケルシェンシュタイナー、文化教育学を研究。最大の業績は1929年(昭和4)の『日本庶民教育史』3巻である。
[本山幸彦]
『小原國芳編『日本新教育百年史Ⅰ 総説(思想・人物)』(1970・玉川大学出版部)』