20世紀日本人名事典 「吉田熊次」の解説
吉田 熊次
ヨシダ クマジ
- 生年
- 明治7年2月27日(1874年)
- 没年
- 昭和39(1964)年7月15日
- 出生地
- 山形県東置賜郡
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文科大学哲学科〔明治33年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔明治45年〕
- 経歴
- 明治33年哲学館講師、34年小学校修身教科書起草員、36年ドイツ、フランスに留学、37年東京女高師兼東京高師教授、38年再び欧州留学、40年東大助教授を兼任、教育学講座を担当。41年教科用図書調査委員会主査委員、大正5年東大教授専任となり、同大教育研究室を主宰。6年臨時教育会議幹事、9年教科書調査会委員、13年文部省参事官、昭和6年東大評議員、7年国民精神文化研究所員、9年定年退官、名誉教授。その後国民精神文化研究所研究部長となった。ヘルバルト学派教育学説からベルゲマンの社会教育学の影響を受け、社会的教育学の研究に尽力した。著書に「ベルゲマン氏社会教育学及進化的倫理学」「社会的教育学講義」「系統的教育学」「教育的倫理学」「国民道徳と教育」「女子教育研究」「社会教育」「陶冶と価値」「女子教育の理念」「教育学説と我が国民精神」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報