昆虫の幼虫とさなぎ,無翅(むし)類では成虫にもある腺性の内分泌器官で,エクジソン(脱皮ホルモン)を分泌する。前胸腺は最初ボクトウガの幼虫でリヨネP.Lyonetによりcorps grenuと記載された(1762)。その後他の昆虫でもみつかり,さまざまな名で呼ばれたが,この器官がエクジソンの産生器官であることを証明した福田宗一(1940)が,桂応祥(1930)の提出した前胸腺prothoracic glandの名称を用いたことから今日に至る。しかし,エクジソンを分泌する器官の存在位置は種によって異なり,かつその部域にちなんだ名称がそれぞれに付されているため総称はなく,現在では脱皮腺ecdysial glandの名称が提案されている。しかし皮膚腺の一種に同じ名のものがあり,一般化はしていない。前胸腺は鱗翅目では,前胸部気門の内側に位置する1対の組織で,乳白色半透明の組織であったり,細胞がかなりしっかり連なった紐状組織であったり,細い糸状組織で細胞が数珠状に連なる長く中胸まで分散するものもある。半翅目では頭部腹側にあり,頭部腹面腺(あるいは単に腹面腺)と,ナナフシ類では動脈をとりまく形で分布するために囲心腺と,また原始的な双翅類では囲気管腺とよばれたり,高等双翅目の環縫類では側心体,アラタ体と合一して環状腺を形成したりする。エクジソン分泌活性は各脱皮の前に高まり,脱皮時および脱皮間期に低いという周期性を示す。これに並行して,細胞は活性期には大型の核,大径のミトコンドリアを多く含む膨潤した細胞となり,典型的なステロイド産生細胞の形態をとるが,休止期には細胞質は少なく,小径のミトコンドリアと小型の核をもつしぼんだ細胞となる。
成虫になっても脱皮をつづける無翅類では,成虫期にも前胸腺は存続する。有翅類では一般に成虫化の前に幼若ホルモンの消失する時期があり,この期間を経た前胸腺は退化する。このため,完全変態昆虫では蛹(よう)期に,不完全変態昆虫では羽化後まもなく前胸腺は崩壊・消滅してしまう。しかし,アラタ体の無い無翅類でどうして存続できるのかは明らかではない。
執筆者:片倉 康寿
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昆虫がもつ腺性の内分泌器官の一つをいう。昆虫の前胸部にあることが多いためこの名が使われるが、トンボ、バッタでは頭部の腹側にあるので腹面腺、カメムシなど半翅(はんし)類では前胸より後方にあるため胸腺、ハエなど双翅類では環状腺(ワイスマン環ともいい、両側部が前胸腺と相同)ともよばれることがある。チョウやガなど鱗翅(りんし)類での典型的な前胸腺は、左右の前胸気門の内側の気管叢(そう)にそれぞれ付着し、一端が頭部へ伸びる細長い三角形をしている。
前胸腺は樹状核をもつ大形の細胞の集団で、生きている状態では半透明である。胚(はい)発生期に頭部最後部の左右で陥入する一対の細胞塊から発生し、幼虫期から蛹(よう)期前期まで内分泌腺として働く。シミなど無変態の昆虫以外では蛹期間中に退化し、成虫ではみられなくなる。前胸腺の存在は、すでに1762年にはリオネP. Lyonetによって記載されていたが、その機能の詳細がわかったのはごく最近のことである。
前胸腺は、脳の神経分泌細胞から分泌される脳ホルモンにより刺激され、前胸腺ホルモンを分泌する。前胸腺ホルモンは幼虫期にはアラタ体ホルモンと協同して働き幼虫脱皮を引き起こすが、最終幼虫期でアラタ体ホルモンが欠如した状態で蛹化を引き起こす。さらに、蛹(さなぎ)に働いて成虫化をおこさせる。このような発生を前進させる働きのため、前胸腺ホルモンは脱皮ホルモン、蛹化ホルモン、あるいは変態ホルモン、変態促進ホルモンともよばれている。1954年にブーテナントA. ButenandtとカールゾンP. Karlsonにより、500キログラムの雄蚕の蛹から0.25ミリグラムの前胸腺ホルモンが抽出・純化された。1965年その化学構造が明らかにされ、エクジソンと命名された。この純化されたホルモンを用いた実験により、昆虫が変態する際、細胞の核から出される遺伝情報が切り替えられることが明らかにされている。ステロイド化合物であるこのエクジソンの合成の経路、あるいは細胞に働きかけるときの細かな機構などについて研究が進められている。
[竹内重夫]
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