改訂新版 世界大百科事典 「カイコ」の意味・わかりやすい解説
カイコ (蚕)
silkworm
Bombyx mori
カイコは正しくはカイコガと呼ばれ,鱗翅(りんし)目カイコガ科に属する昆虫で,その繭から絹糸をとるため古くから中国や日本などで飼育されてきた。
カイコの祖先
カイコに最も近縁な昆虫としては,クワ畑に野生しているクワゴBombyx mandarinaがある。クワゴはカイコと同様カイコガ科に属し,カイコと交配して雑種をつくることができ,その雑種は完全な繁殖力をもっている。日本に生息するクワゴの染色体はn=27であるが,中国大陸にいるものは,カイコと同様n=28である。このようなことからカイコとクワゴはその祖先を共有するものと考えられている。カイコは4000~5000年前から人間に飼育されているので,野生の昆虫とは種々の点で異なった性質を示す。すなわち,幼虫の行動範囲が狭く,餌がなくなってもあまりはい回ることがなく,ガはとぶ力がないので,1m以上はなれていると雄ガは雌ガに近づいて交尾することができない。また,最近品種改良によって厚い繭をつくるようになった品種では,繭を自分で食い破ることができず,繭の両端を切開してやってはじめて繭から出て生殖を営むのである。このように,人の望む方向に改良が行われた結果,カイコは人間の保護がなければ,自然界に生存できない生物であるといえる。
カイコの一生
カイコは卵で越冬するが,4月下旬にクワの新芽が伸びはじめたころ,蚕卵を冷蔵庫から出して25℃で保温すると,約1週間で孵化(ふか)する。孵化した幼虫は蟻蚕(ぎさん)と呼ばれるが,クワを与えると成長して約3日で食桑(しよくそう)を止め眠(みん)に入る。孵化から1眠までのカイコを1齢幼虫という。1眠は約1日でその後脱皮し,脱皮をおえたカイコを起蚕(きさん)と呼び,再び食桑を開始して2齢幼虫となる。さらに,眠と脱皮を繰り返して,5齢期の終りになると糸を吐き繭をつくる。繭の中で脱皮しさなぎ(蚕蛹(さんよう))となり,約10日後もう一度脱皮してガ(カイコガ,成虫)になる。ガは早朝繭を食い破って出てくるが,その日のうちに交尾し産卵する。したがって,孵化してから次代の卵が産下されるまで40~45日かかることになる。
蚕卵は産下されたとき淡黄色をしているが,産下後2日目ごろからしだいに着色をはじめ,4~5日で固有色の藤ねずみ色となり翌春まで休眠に入る(休眠卵,黒種(くろだね))。しかし,カイコの種類によっては,6月産下された卵が着色しないで2週間ぐらいで孵化し(非休眠卵,生種(なまだね)),春と同じような世代を繰り返し,8月中旬ごろ2回目のガが出て休眠卵を産下するものがある。このようなものは2化性品種と呼ばれる。
形態
幼虫の体は細長い円筒状で,頭部と胴部に区別される。頭部は灰褐色の硬いキチン板に包まれる。胴部は外骨格であるキチン外皮によって覆われ,13体節からなる。第1~第3体節に3対の胸肢,第6~第9体節に4対の腹肢,第13体節に1対の尾肢がある。また,第1,第4~第11体節の側面に気門が開口している。
さなぎは幼虫やガにくらべて各部の区分がやや不明りょうであるが,腹面からみると触角,羽および複眼などがみられる。ガは全身鱗毛でおおわれ,頭部には大型の触角,複眼および口器などがある。胸部は前・中・後胸の3節からなり,各胸節に胸肢が,中胸に前翅,後胸に後翅があり,さらに腹部の末端には交尾器がある。
地理的品種
カイコはその地理的な分布から,日本種,中国種,ヨーロッパ種および熱帯種などの地理的品種に分けられる。カイコの諸形質の中で環境の影響を受けやすい化性の差による品種分類と地理的品種とは,密接な関連がある。寒冷地帯に分布する品種は1化性であり,温暖地帯に適応したものは2化性,さらに熱帯地方に適した品種は多化性を示す。カイコは外観によって,これがどのような地理的品種に属するかということのおよその見当がつく。たとえば,幼虫がずんぐり形で体色が白く繭が楕円形であれば中国種であり,日本種であれば幼虫体色はやや黒みがかっており繭は俵形をしている。ヨーロッパ種の幼虫は大型で細長く繭は長楕円形の場合が多く,熱帯種の幼虫は小型で細長く繭は紡錘形をしている。
品種改良
日本におけるカイコの品種改良は江戸時代から行われていて,当時はもっぱら系統分離法による育種がなされてきた。明治時代後半から大正時代にかけて,中国あるいはヨーロッパから中国種およびヨーロッパ種が輸入され,在来種である日本種との交雑育種がさかんに行われた。その結果,全繭重(けんじゆう),繭層重あるいは生糸量歩合(一定重量の繭からとれる生糸量の比率)といった,繭ならびに生糸生産にとって重要な形質が著しく向上した。一方,1906年外山亀太郎によって一代交雑種が有利なことが提唱され,14年以降これが実用化された。その後,現在まで農家が飼育するカイコはすべて一代交雑種が用いられている。一代交雑種は原種にくらべて,強健で成育が旺盛であるので飼いやすく,しかも全繭重などが大で生産性が高い。このような品種改良と一代交雑種の普及によって,在来種の繭層重は0.15~0.2gであったものが現在0.6g程度となり,また繭糸長は500m内外であったものが1500mにもなった。
飼育
孵化したカイコに初めてクワを与えることを掃立(はきたて)という。掃立桑としては新梢の上から4~5葉目のやわらかい葉がよく,これを細かくきざんで与える。1~3齢幼虫を稚蚕(ちさん)というが,この時期の最適温湿度は27~28℃,80~90%であり,相当高い湿度が必要である。そのため,蚕座をパラフィン紙で覆うなどして保湿につとめる。しかし,眠期には覆いをとって蚕座をよく乾燥させることが必要である。稚蚕期の用桑は,クワの枝条の先端から5,6枚目のものがよいが,齢が進むにつれて葉位を下げ,かためのクワを与えるようにする。給桑回数は1日2回(朝,夕)で十分であり,つぎの給桑時まで少しクワが残っている程度の量を1回の給桑量とすればよい。
カイコは発育が早いから,それに合わせて蚕座の面積を広げて飼育密度を適正に保つ必要がある。すなわち,掃立時の蚕座面積を1とすると,1齢の終りは約10倍,2齢の終りには約20倍,そして3齢末期には約40倍に広げるのが基準である。また,飼育を続けていくとしだいに蚕糞(さんぷん)や残桑がたまるので,これを除いてやらなければならない。このような操作を除沙(じよさ)といい,その方法は飼育しているカイコの上にカイコがくぐることのできる程度の目の網をかけ,その上からクワを与えると,カイコは網目を通ってはい上がってくる。カイコが全部はい上がってから網をもち上げ,下に残った蚕糞や残桑を除けばよい。除沙は稚蚕期には各齢1回行えば十分である。
一方,4,5齢期のカイコを壮蚕(そうさん)と呼び,この時期は稚蚕期よりも適温,適湿は低く,24~25℃,60~75%程度がよい。用桑も稚蚕期のように厳密に選択して与える必要はなく,クワが不足しないように十分与えればよい。しかし,稚蚕期とは異なり通風をよくしてやらなければならないので,飼育室の換気を十分考慮しなければならない。
5齢のカイコはその成長が極度に達するとクワを食べる量が少なくなり,ついに食桑を止め体が透き通り糸を吐きはじめる。このようになったカイコを熟蚕(じゆくさん)と呼び,熟蚕を営繭場所すなわち蔟(まぶし)に入れてやることを上蔟(じようぞく)という。上蔟してから4日目ごろ繭の中で脱皮してさなぎとなる。上蔟,営繭中はできるだけ湿度を下げ,通風をよくすることが必要である。
病気
カイコは一度病気にかかるとそれを治療することはまずできないので,病気に感染しないよう飼育場所をよく消毒し清潔に保ち予防につとめることが必要である。しかし,クワの葉に付着した病原菌を除去することは困難であるので,じょうぶな品種を飼育すること,また良質のクワを十分与えカイコを健康に育てることが重要である。
カイコの病気には,各種の病原微生物の感染によって起こるウイルス病,細菌病,糸状菌病および原虫病のほか,昆虫やダニなどの寄生による寄生虫病がある。また,タバコや種々の農薬あるいは工場から排出された煤煙(ばいえん)中の有毒物質によって発生する中毒症もある。蚕病が発生した場合には,それ以上病気が広がらないように病蚕の除去,適当な消毒処置を施すことが必要である。このために,発生した蚕病がどのような種類のものか的確に診断しなければならない。
執筆者:吉武 成美
中国
カイコの原種は山野に自生する檞(かい)(カシ),櫟(れき),柞(さく)(クヌギ)などの樹葉を食って繭をつくるもので,これを野蚕・山蚕・天蚕という。山東省東部の山地ではこれを採取して繭綢(けんちゆう)をつくることが行われていた。古来,カイコの飼育と繭の採取とは女性の仕事とされ,《山海経(せんがいきよう)》海外北経に〈欧糸の野……一女子が跪(ひざまず)きて樹に拠って糸を欧(は)く〉とあり,カイコを女子に見たてている。これを原形として《捜神記》に見える太古蚕馬の神話となる。家に残された娘が,他郷に住む父を連れ帰れば妻になると家に飼う雄の馬に頼む。馬は父を連れ戻ったが,娘と父は約束を守らず,馬を殺してその皮をはぐ。馬の皮は娘を巻きこんで飛び去る。数日して馬の皮と娘はクワの大木にとまってカイコに化し,巨大な繭が採れたという。クワと女性のほかに馬が出るのは,カイコは胴が女体に,頭部が馬に似ているからだという。それでカイコの神を女神として〈馬頭娘〉とも〈馬明菩薩〉とも称するようになった。
執筆者:沢田 瑞穂
日本
《魏志倭人伝》に養蚕の記載があって,日本における養蚕の古さを示す。古代の絹は貴族の独占物で,調の貢進のため農民は養蚕を強制され,《万葉集》にも〈たらちねの母が養う蚕の繭隠り〉の慣用句があるほどであったが,農村で広く行われるのは近世以後である。この生産には多くの儀礼や民間信仰が伴い,雄略天皇の命令を聞き違えて〈蚕(こ)〉でなく〈児(こ)〉を集めた少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)の伝説もその一端である。民間でこれを〈おこさま〉〈お姫様〉などと尊称するのは,養蚕起源譚(たん)のカイコの前身が女性であったことに基づく。これには金色姫の話と馬娘婚姻譚との2系統がある。前者は《御伽草子》その他にみえ,クワの木の空(うつ)ろ舟で日本に漂着した姫のしかばねがカイコとなった話で,まま母の奸計で遭遇した4度の危難により4回眠ると説明し,それぞれシシ(第1眠),タカ(2眠),フナ(3眠),ニワ(4眠)と呼ぶ。これは土地によって差異があるが,茨城県つくば市の蚕影山(こかげさん)神社はこの金色姫伝説を縁起とし全国の蚕影信仰のもととなっている。後者は,中国の《捜神記》に由来するとされる馬と娘との婚姻譚で,夫婦となった娘がカイコとなって天から下り,またはカイコの神にまつられたとするもので,東北日本のオシラサマがその蚕神と伝え,クワの木で男女あるいは馬の顔をつけた棒をつくる。正月にこの神をあそばせながらいたこはこの由来を説いた〈オシラ祭文〉を唱える。現在でも蚕種の包装紙や蚕種紙に馬の印を用いるのはこの説話に基づく。繭の豊作を祈願する行事として農民の習俗のいちじるしいものに小正月の繭玉,蚕神の祭りである蚕日待などさまざまの習俗があり,屋根裏に蚕室を造るために民家の構造にも変化が現れ,二階造りが多くなった。これらの点でカイコの飼養とその信仰とが農民生活に与えた変動はいちじるしいものがあった。
→養蚕
執筆者:佐々木 清光
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