キリスト教の教理の一つ。人類の初めから罪と死が人間をとらえたので、キリストの十字架の死と復活によって贖(あがな)い、回復されなければならないとする「人類堕落の教義」をいう。これと、人類の始祖アダムが犯した罪が全人類に性交によって遺伝するという、一種の生物学的な思想が微妙な形で結び付くことが多い。
原罪の思想は聖書に述べられている。「創世記」(3章1~24)で、イブがヘビにそそのかされてアダムを誘惑してエデンの園(その)の中央にある木の実を食べさせ、「神のように善悪を知る者」(3章5)となった結果、神の呪(のろ)いを受けエデンの園から追放されるに至る神話が、原罪説の源泉である。パウロはこの原罪の神話を神学的に深めた。「ロマ書」(5章12)の「ひとりの人によって、罪がこの世に入り、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである」として、人類の普遍的な罪性とアダムの死との連関をとらえ、後世、原罪説のよりどころとなった。
恩恵の博士とよばれる教父アウグスティヌスは、ペラギウス派との論争の過程で原罪の思想を堅持した。罪を犯さない人間にとってはキリストの救済は不要であり、堕罪のあとでも自然本性によって義に達しうるとするペラギウスに反対して書いた『自然と恩恵』(3―3)でアウグスティヌスはいう。「人間の自然本性は確かに最初は罪も汚れもなく創(つく)られたのである。……しかし、この自然の善き能力を暗くし弱めている罪悪は、そのため照明と治癒とが必要なのであるが―罪のない製作者に由来しているのではなく、自由な意志決定によって犯した原罪から生じている」(金子晴勇訳『アウグスティヌス著作集9』)。418年のカルタゴ会議の決議のなかで、原罪の教義が確認され、トレント公会議で再確認された。
やがて宗教改革者ルターやカルバンらは、コンクピスケンティア(邪欲)の問題を深めることによって原罪説を支持し、パウロ、アウグスティヌスに拠(よ)りながら、原罪説を展開した。人文主義者エラスムスの『評論・自由意志』に反対して『奴隷的意志』を公刊(1525)したルターは、「ただ1人の人アダムの、ただ一つの違反によって、私たちすべてが罪と刑罰のもとにあるとき、どうして私たちは、罪でもなくまた罰せられるべきものでもない何ごとかを企てうるのであろうか」(山内宣訳)と述べて原罪の教義に固くたっている。カルバンは『キリスト教綱要』第2巻で原罪について述べ、神の像が原罪の結果破壊されたと述べて、人間の本性を「邪欲」としてとらえ、「人間それ自体邪欲にほかならない」とした。
パスカルが『パンセ』(ブランシュビク版230番)において、「原罪があるということも、原罪がないということも」不可解であるというとき、理性にとって不可解であっても人間の現実にたって原罪を支持している。
[加藤 武]
『金子晴勇訳「自然と恩恵」(『アウグスティヌス著作集9』所収・1979・教文館)』▽『ルター著、山内宣訳「奴隷的意志」(『世界の名著18 ルター』所収・1969・中央公論社)』▽『渡辺信夫訳『キリスト教綱要』全7冊(1962~65・新教出版社)』▽『パスカル著、前田陽一・由木康訳「パンセ」(『世界の名著24 パスカル』所収・1966・中央公論社)』▽『内村鑑三著『堕落の教義』(『聖書の研究』所収・1925・教文館)』
キリスト教神学の用語。旧約聖書《創世記》3章には,まずイブが蛇にそそのかされ,次にアダムがイブにそそのかされて禁じられた木の実を食べ,その結果神に罰せられて,あらゆる生の苦しみをもつに至ったと記されている。またこれによって,神の造った世界の中に罪と死とのろいが入り込んだとされる。ドイツ語のUrsündeとErbsündeはいずれも原罪を意味するが,前者は最初の罪,根源的な罪を言い,後者は遺伝によって相続される罪を言う。後者のような考え方がはっきり表明されたのは,旧約偽典《第四エズラ書》においてである。パウロは《ローマ人への手紙》5章で,ひとりの人の罪がすべての人に及ぶことを集合人格corporate personalityの意味で述べ,かつ罪が罪として現れたのは律法によるのであり,モーセの律法が生ずる前は死のみがあったと述べている。アウグスティヌスは原罪を遺伝罪として語ることが多かったが,これは性交を原罪的なものとみなす考えと一致し,さらにまたマリアの無垢を強調するカトリック一般の考えにも連なっている。しかし個々の罪に関しては意志の働きがあることを否定せず,そこで原罪とは〈意志の腐敗〉にほかならないとも言われた。ルターは原罪を神に対する人間の〈むさぼり〉に見た。これは性欲を原罪とみなす考え方よりもいっそう強く罪と死,罪と苦難の結合を語るもので,《創世記》3章の見方に近いと言える。
→罪
執筆者:泉 治典
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キリスト教の根本教理の一つで,人間の始祖アダムが犯した罪が,子孫である人間全体に及ぶとする教説。この教理はイエスの教えにはほとんど見出されず,使徒パウロによって初めて明確に取り上げられ,キリストの死と復活によって赦(ゆる)される,とされた。アウグスティヌスによってアダムから遺伝された罪として実体化され,両親の性交が罪の遺伝の機会と考えられた。原罪の教理は西洋の思想,文化に深刻な影響を与えた。
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…ではいったい,悪がこの世にはびこるのはなぜなのか。それはアダムが神の命令に背いて堕落したように,宇宙と人間を創造した神の意志にそむく人間の本性的傾向(原罪)の中にある。このような考え方は,アウグスティヌスやトマス・アクイナスに受け継がれて,キリスト教の正統的人間観になった。…
…福音書(《マタイによる福音書》21~27章,《マルコによる福音書》11~15章,《ルカによる福音書》19~23章,《ヨハネによる福音書》12~19章)の記述によると,宣教の旅の最後にエルサレムに至ったイエス・キリストは,そこで逮捕されて裁かれ,虐待を受けた後,十字架上で刑死した。キリスト教では,この間にイエスが受けた苦難を〈受難〉と呼び,これによって人間の原罪をイエスが贖(あがな)ったと考える。キリスト教会では,エルサレム入城の日曜日を〈枝の主日〉,その日から復活祭の前日までの1週間を〈聖週間〉と呼ぶ。…
…またこのような救済への転換には,懺悔と善知識(師)による導きが必要であると説いた。この点において親鸞のいう罪と救いの論理はキリスト教における原罪と罪の赦し(ゆるし)の教説に類似しているということができよう。 日本には古来,人間による悪行とともに穢(けが)れや禍(わざわい)などをも含めた神道的な罪の観念があった。…
…旧約聖書《創世記》2~3章によると,アダムとイブは苦しみも心配もなくエデンの園に住んでいたが,蛇の誘惑に負けて知恵の木の実を食べた。神の命にそむくこの行為(原罪)のため2人は楽園を追われ,それ以来人間は苦労して働き,ついには死する運命となった。
[図像]
原罪や楽園追放の場面は初期キリスト教時代から美術に表された。…
※「原罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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