改訂新版 世界大百科事典 「啓明会」の意味・わかりやすい解説
啓明会 (けいめいかい)
1919年(大正8)8月4日,その前年まで埼玉師範学校教員であった下中弥三郎を中心に県下の青年教師によって組織された教育運動団体。会は,教員の地位・待遇の向上をめざす職能的な教員組合としての性格と〈教育的社会改造運動〉(下中)の性格とをもって出発した。翌20年5月の第1回メーデーには,教員組合として参加,一般労働組合との組織的連帯をはかっている。同年9月,全国的な運動への発展をめざし,〈日本教員組合啓明会〉と改め,〈教育改造の4綱領〉を発表。(1)教育理想の民衆化,(2)教育の機会均等,(3)教育自治の実現,(4)教育の動的組織,を掲げ,教育を受ける権利すなわち〈学習権〉の主張や,公選教育委員会制度の設置などの注目すべき改革要求を明らかにした。機関誌として《啓明》(1919年10月創刊,のち《文化運動》)が刊行されている。26年には,〈教化運動啓明会〉と改名し,しだいに組合運動より教育改革運動への転換がみられる。27年教育改革についての第2次宣言を《教育週報》に発表したが,現場教師主体の運動体ではなくなり,思想的アピールとなった。このころを契機に,本格的な教育労働運動へ席を譲ることになった。
→教職員組合
執筆者:海老原 治善
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報