日本大百科全書(ニッポニカ) 「学習権」の意味・わかりやすい解説
学習権
がくしゅうけん
人間が、自己の成長を図り種々の能力を向上させ、また真理を探求するため、自由に学習し、学習活動に必要な条件を要求する権利。とくに未成熟な子供(乳幼児、児童、青少年)が一人前の大人になるために必要な学習条件・学習環境を、親、保護者、教師、教育行政機関など教育の実施主体に求める権利をいう。
[宮﨑秀一]
「教育を受ける権利」と教育権
日本国憲法上の根拠は「ひとしく教育を受ける権利」(26条1項)に求められるが、この文言は外から一定の教育プログラムを与えられるというニュアンスが強く、実際、制定後しばらくは、能力ある者への上級学校進学機会の保障と解された。
1960年代後半以降、教育法学においては、教育学の成果も踏まえ、人間の発達過程においては学びつつ成長する主体の自主性・自発性が不可欠であることを重視して、この権利を「学習する権利」と再定義した。以後、この解釈は学説・判例上定着し、最高裁判所も「この規定(憲法26条)の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる」と述べるに至った(旭川学力テスト事件大法廷判決1976年5月21日)。
教育・学習への権利保障の国際法上の進展は、世界人権宣言(1948年国連総会採択)26条、経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約(1966年同)13・14条、児童の権利に関する条約(1989年同)28・29条などにみることができる。
[宮﨑秀一]
公教育と学習権・「学習の自由」
第二次世界大戦後、高等学校や大学の進学率向上に象徴されるように、教育は量的に著しく拡大したが、反面、行き過ぎた管理主義的生徒指導、受験競争の過熱、校内暴力、いじめ、不登校、家庭と地域社会の教育力低下など、教育をめぐる多くの課題が現出した。それらを解決し、早急に子供の学習権保障の実を回復しなければならない。
現代公教育制度下にあって、子供の学習権保障に果たす学校の役割は重大であるが、近年の不登校児童・生徒の著しい増加に伴い、いわゆるフリー・スクールや家庭におけるホーム・スクーリングなど、学校以外の場において教育義務(憲法26条2項前段)を履行する親の選択の自由、子の立場からは学習する場や形態を選択する自由が主張されている。これら「教育選択権」「学習選択権」の憲法上の根拠は、子供の学習権に含まれる自由権的側面としての「学習の自由」に求められ、「幸福追求権」(憲法13条)および「学問の自由」(憲法23条)からも導かれるとされる。
[宮﨑秀一]
生涯学習社会と学習権
今後、学歴偏重社会から脱却し、真の生涯学習社会の実現を志向してゆく上で、学習権は子供にとってのみならず、大人にとっても、いっそう重要な意義をもってくる。この点では教育基本法が、すでに第二次世界大戦後の教育改革時に、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されねばならない」(旧教育基本法2条、現行法3条参照)、また「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」(旧同法7条1項、現行法12条参照)とうたっていたことは注目に値する。
国際的には、1985年(昭和60)の第4回ユネスコ国際成人教育会議において「学習権the right to learn」に関する「会議宣言」が表明されている。そこでは「食糧の生産」「健康な生活」から「戦争を避けること」に至るまで、「学習権は人間の生存にとって不可欠な手段である」と述べられ、生存権、労働権、参政権など他の基本的人権保障の前提をなす意味で、学習権が「人権中の人権」といわれるゆえんが明瞭に説かれている。また同宣言は、学習権を「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていく」ための「基本的人権の一つ」であると述べ、この権利がいわば「自己教育権」としての本質を内包していることをも示唆している。
[宮﨑秀一]