小説家。東京都生まれ。本名岩戸康次郎(いわとこうじろう)。実家は「闇市成金のバブリーな家」だったという。エッセイなどによる本人の言葉から再構成していくと、経歴は次のようなものになる。まず幼少時には、自家用車などどこにもなかった時代に運転手つきのダッジに乗り、お付き女中にランドセルをもたせて私立の小学校に通う。自宅には本は1冊もなかった代わりに、巨大なスピーカーの蓄音機があって、クラシックの音楽全集が全部揃っていた裕福な家庭環境だった。家に本がなかったことは幼心にもコンプレックスであり、この当時から学校の図書館や貸本屋に入り浸り、ひたすら読みあさった。ところが、浅田が9歳のときに実家が没落。使用人はおろか父母も失踪し、一家はほとんど離散状態になり、遠縁の家に引き取られるという経験をする。駒場東邦中学校から、中央大学附属杉並高等学校に進み、1970年(昭和45)卒業。大学受験に二度失敗し、1971年陸上自衛隊に入隊する。入隊の理由は、陸上自衛隊市谷駐屯地で自決した三島由紀夫の行動を少しでも理解したかったからというもので、1973年の除隊時の階級は陸士長だった。その後は自称「極道生活」に入っていく。例えば、家賃数十万円の豪華マンションに住みながらのネズミ講幹部、競馬の予想屋、ブティック経営者、スーパー店頭での販売員、ギターの弾き語り……等々である。しかし浅田は、こうした経験が作家という職業の支えとなっているわけではないといい切る。事実は逆で、作家になろうとしていたら、こういう人生になってしまったのだという。その言葉通り、浅田は高校生のころから出版社に原稿をもち込み、新人賞にも投稿を続けていた。
1991年(平成3)、自らの「極道生活」を面白おかしく綴った小説『極道放浪記』でデビュー。翌1992年、書き下ろし長編小説『きんぴか』で本格的に小説家としての道を歩み始める。13年ぶりに「シャバ」に戻った元やくざと、単身クーデターを企て失敗し、自殺未遂を図った元自衛官、収賄で挫折した元エリート官僚の3人が、定年退職した元マル暴(暴力団担当)刑事の扇動により、世の中の悪党どもを懲らしめてゆくというピカレスク・ロマン風の物語である。非情なアウトローの世界に生きながら義理と人情にも厚い男たちの姿が、涙と笑いとともに描かれる同作は、その後の浅田作品の原点となる。同作のシリーズ第二、三作の『気分はピカレスク』(1993)、『ピカレスク英雄伝』(1994)はもとより『プリズンホテル』(1993)四部作などでは、いずれもこのアウトロー路線を継承した人情物語になっている。その一方で『日輪の遺産』(1993)や『地下鉄(メトロ)に乗って』(1994。吉川英治文学新人賞)、あるいは江戸弁の語り口を駆使した『天切り松 闇がたり』(1996)など、シリアスで特異な才能を発揮した作品を発表。
しかし、浅田の名を真に多くの読者に知らしめたのは、中国清朝末期を舞台にした壮大な歴史小説『蒼穹の昴(すばる)』(1996)だった。同作は直木賞の候補となるが、下馬評では圧倒的な支持を得ながら落選。翌1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で第117回直木賞を受賞し、雪辱を果たす。さらに2000年『壬生(みぶ)義士伝』により柴田錬三郎賞を受賞。
[関口苑生]
『『蒼穹の昴』(1996・講談社)』▽『『天切り松 闇がたり』(1996・徳間書店)』▽『『極道放浪記1 殺られてたまるか!』(幻冬舎アウトロー文庫)』▽『『きんぴか』(光文社文庫)』▽『『気分はピカレスク』『ピカレスク英雄伝』(飛天出版・HITEN NOVELS)』▽『『プリズンホテル1~4』『鉄道員』(集英社文庫)』▽『『日輪の遺産』(徳間文庫)』▽『『地下鉄に乗って』(講談社文庫)』▽『『壬生義士伝』上下(文春文庫)』
(南 文枝 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
(2015-4-30)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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