朝日日本歴史人物事典 「淀屋个庵」の解説
淀屋个庵
生年:天正4(1576)
江戸前期大坂の豪商。姓は岡本,名は言当,号は玄个庵,个庵は玄个庵の略称という。言当とその後継者は代々,三郎右衛門を名乗り,号は个庵,通称は辰五郎であったといわれている。父の淀屋常安が元和5(1619)年,中之島の「常安請地」開拓を竣工させ,ここに居住して常安町家を開いたことにより,言当はそれまでの十三人町(現在の大阪市中央区北浜4丁目)淀屋橋家の当主となった。同8年鳥羽屋彦七と共に,塩魚商人の代表者として津村の葭島の開発を出願,大坂町奉行の認可を得て新地を造成し,塩干魚,干鰯商の集居する新靭町,新天満町,海部堀川町の発展の基を築いた。また寛永8(1631)年,従来は堺,京都,長崎に限られていた糸割符の特権が江戸にも与えられることになったので,言当は北組惣年寄の川崎屋治左衛門と共に,それが大坂にも配分されるよう長崎奉行に依頼し,翌年幕府へも出願して,実現させた。言当の大名貸については,寛永18年萩藩への銀150貫目貸付がこれまで発見された史料に裏付けられた唯一の事例である。幕府直轄商業都市としての大坂の発展に貢献した豪商であったことは間違いないが,その事跡の多くは伝説の域にあって明らかではない。風流を解し,茶事を嗜み,小堀遠州,松花堂昭乗と親交があり,連歌をよくし,戯画に長じて人物花鳥雑画を描いたという。<参考文献>横山三郎「淀屋史料の現段階」(『船場』3号),森泰博「淀屋と萩藩」(宮本又次編『上方の研究』1巻)
(森泰博)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報