淀屋个庵(読み)よどやこあん

改訂新版 世界大百科事典 「淀屋个庵」の意味・わかりやすい解説

淀屋个庵 (よどやこあん)
生没年:1577-1643(天正5-寛永20)

江戸前期の大坂豪商。姓は岡本氏,名は三郎右衛門言当。淀屋始祖中之島の開拓で知られる与三郎常安の長子で,个庵もまた1622年(元和8)鳥羽屋彦七と連名津村の葭島の新地開発を出願し,塩干魚・干鰯(ほしか)(魚肥)商の集居する靱(うつぼ)3町(新靱,新天満,海部堀川町)の発展の素地をつくった。また大坂の総年寄として31年(寛永8)従来,堺,京都,長崎に限定されていた糸割符(中国産生糸の輸入商グループ)の特権を大坂町人のために奔走して実現させた。さらに町人蔵元として諸藩の大坂廻米の販売を大規模に引き受け,そのため北浜の淀屋の店頭には米商人が群集して米市が立つようになったという。のちの堂島米市場濫觴(らんしよう)とされる。そして幕府,諸侯への貸金は巨額にのぼった。一面風雅を好み,茶人として小堀遠州,松花堂昭乗らと親交があり,連歌をよくし人物花鳥画を描いたという。
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関連語 鶴岡

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淀屋个庵」の解説

淀屋个庵 よどや-こあん

1577-1644* 江戸時代前期の豪商。
天正(てんしょう)5年生まれ。淀屋常安長男。大坂の中之島の開発で知られる淀屋の2代目。靱(うつぼ)の地を開拓し,米市をひらく。寛永8年大坂に糸割符(いとわっぷ)の配分権を獲得した。茶人として小堀遠州(えんしゅう),松花堂昭乗らとまじわった。寛永20年12月5日死去。67歳。姓は岡本。名は言当。通称は三郎右衛門。

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世界大百科事典(旧版)内の淀屋个庵の言及

【商人】より

…軍需物資の調達・輸送,金融,城下町整備などで活躍し,ときには代官的な役割を果たした。大堰川,富士川,高瀬川などを開削して米や物資の輸送を可能にし,通船料取得の特権をえた角倉了以や,大坂の道頓堀川を開削して水上交通と市街の発達に寄与した安井道頓,中之島を開発して市場を開いた淀屋个庵(こあん)などが著名である。彼らは幕藩権力と結びつき,政商的性格をもっていた。…

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