詩人、小説家。満州(現、中国東北地方)大連(だいれん)生まれ。高知を父母の生地とする。大連一中、一高を経て、東京帝国大学仏文科に進み、大連の両親のもとに帰省中に敗戦(第二次世界大戦)を迎える。日本野球連盟勤務、法政大学フランス語教授などを経て文筆生活に入る。雑誌『現代評論』『今日』『現代詩』に参加。大岡信(まこと)、飯島耕一(こういち)、吉岡実(みのる)、岩田宏(ひろし)と同人誌『鰐(わに)』を創刊。第一詩集『氷った焔(ほのお)』(1959)は、妻となった女性を純粋昇華した形で歌った。おもな詩集に『日常』(1962)、『四季のスケッチ』(1966)、『固い芽』(1975)、『パリの五月に』(1991)がある。選詩集には現代詩文庫の『清岡卓行詩集』『続・清岡卓行詩集』『続続・清岡卓行詩集』がある。1969年(昭和44)に愛する妻を失った悲しみを散文化した小説『朝の悲しみ』を書き、ついで発表した『アカシヤの大連』(1969)で第62回芥川(あくたがわ)賞を受賞。作風は知的に抑制され、詩人らしく透明でやや抽象的な叙情性に富む。ほかの小説に『フルートとオーボエ』(1971)、一高の後輩原口統三(とうぞう)(1927―1946)を主人公とする『海の瞳(ひとみ)』(1971)、『花の躁鬱(そううつ)』(1973)、恩師で漢詩人の阿藤伯海(あとうはっかい)(1894―1965)への敬愛の念をうたった伝記小説『詩礼伝家(しれいでんか)』(1975)などがある。引揚げ後三十数年ぶりの大連再訪で得た『大連小景集』(1983)は、一見個人的回想旅行記にみえながら、背後から近代日本の歴史が浮き出る小説集となっている。『マロニエの花が言った』(1999)で第52回野間(のま)文芸賞受賞。また紀行文集『芸術的な握手』(1978)で第30回読売文学賞受賞。評論集に『手の変幻』(1966)、『抒情(じょじょう)の前線』(1970)、『萩原朔太郎(さくたろう)「猫町」私論』(1974)などがあり、訳詩集に『ランボー詩集』(1968)がある。1996年(平成8)日本芸術院会員となる。野球好きで、セントラル・リーグ試合日程編成者時代に「猛打賞」を考案したことでも知られている。
[吉田文憲]
『『日常』(1962・思潮社)』▽『『現代詩文庫5 清岡卓行詩集』(1968・思潮社)』▽『『現代詩文庫126 続・清岡卓行詩集』(1994・思潮社)』▽『『現代詩文庫165 続続・清岡卓行詩集』(2001・思潮社)』▽『『抒情の前線――戦後詩十人の本質』(1970・新潮社)』▽『『フルートとオーボエ』(1971・講談社)』▽『『花の躁鬱』(1973・講談社)』▽『『詩集 固い芽』(1975・青土社)』▽『『芸術的な握手――中国旅行の回想』(1978・文芸春秋)』▽『『大連小景集』(1983・講談社)』▽『『猛打賞――プロ野球随想』(1984・講談社)』▽『『円き広場――初期詩集』(1988・思潮社)』▽『『清岡卓行詩集 パリの五月に』(1991・思潮社)』▽『『萩原朔太郎「猫町」私論』(1991・筑摩叢書)』▽『『清岡卓行大連小説全集』上下(1992・日本文芸社)』▽『『マロニエの花が言った』上下(1999・新潮社)』▽『『海の瞳――原口統三を求めて』(文春文庫)』▽『『手の変幻』『アカシヤの大連』『詩礼伝家』(講談社文芸文庫)』▽『大岡信・谷川俊太郎編『現代の詩人 清岡卓行』(1983・中央公論社)』▽『アルテュール・ランボー著、清岡卓行訳『ランボー詩集』新編(1992・河出書房新社)』
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