大連(読み)おおむらじ

  • Dàlián
  • おおづれ おほ‥
  • おおむらじ おほ‥
  • おおむらじ〔おほ〕
  • たいれん
  • だいれん
  • 大▽連
  • 大連 Dà lián

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大和朝廷の最高の官職の最有力者。大臣 (おおおみ) とともに国政をとった。初め物部氏が,のち大伴氏就任,以後両氏がこのについた。大伴金村失脚後は物部氏が独占したが,物部守屋滅亡後はおかれなくなった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

中国東北部遼東半島南端にある戸籍人口588万5千人の港湾都市。かつては日本の租借地で、南満州鉄道(満鉄)の本社が置かれた。1984年に沿海開放都市に指定され、外資進出が本格化。日本企業が外資全体の3分の1を占め、約17万人の現地雇用を生み出してきたとされる。現在でも満鉄が経営した「大連ヤマトホテル」(現・大連賓館)などの建物が活用されている。20万人以上が日本語を学んでいるといわれ、市中心部では地元テレビ局による中国最初の日本語放送もある。昨年10月時点の在留邦人は約6200人。

(2012-09-23 朝日新聞 朝刊 1総合)

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デジタル大辞泉の解説

大和朝廷で、大化の改新以前に大臣(おおおみ)と並ぶ最高官。姓(かばね)をもつ氏族中の最有力者が就任。大伴物部氏が任ぜられた。
中国遼寧省の工業・港湾都市。遼東半島の南端に位置する。1898年にロシアが租借、東洋経営の根拠地として建設し、ダルニーと命名。日露戦争後は日本の借地となり大連と改称第二次大戦後、旅順と合併して旅大市となったが、1981年に再び大連と改称。人口、政区325万(2000)。ターリエン

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百科事典マイペディアの解説

大和朝廷の最高執政官。5世紀後半頃に大臣(おおおみ)と併置された。軍事的伴造(とものみやつこ)の大伴氏物部(もののべ)氏世襲,6世紀中頃大連大伴金村が失脚してからは,物部氏が単独で任用された。6世紀末物部守屋(もりや)が仏教受容に反対して大臣蘇我馬子(そがのうまこ)らに討たれ,大連は廃された。→氏姓制度
→関連項目穴穂部皇子物部尾輿雄略天皇用明天皇
中国,遼寧省南端にある都市。遼東半島大連湾の南西岸にあり,東北第1の商港。瀋大鉄路(瀋陽〜大連)の終点に当たる。1898年帝政ロシアが南下政策の一端として租借,港湾都市ダルニーを建設したのに始まる。日露戦争後,日本の手で関東州の門戸として経営され,1945年まで大陸政策の基地となった。1950年中ソ条約によりソ連から返還され,旅順と合わせて旅大市となり,1981年大連市と改称。造船,鉄道車両などの機械工業や化学,紡績,食品工業が盛んで,大慶油田に産する石油積出港,また漁港としても発展している。300万人(2014)。
→関連項目経済特区中華人民共和国中山広場長山列島ムラビヨフ遼東半島遼寧[省]旅順

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世界大百科事典 第2版の解説

大和朝廷の執政官。垂仁朝に物部十千根(とおちね)大連として初見するが,ほぼ5世紀後半の雄略朝から,大臣(おおおみ)とともに執政官を示す地位として成立した。《日本書紀》雄略即位前紀に平群真鳥(へぐりのまとり)を大臣,大伴室屋,物部目を大連に任じたといい,以後大伴金村,物部麁鹿火(あらかひ)・尾輿(おこし)・守屋がついた。大和の臣姓豪族をあてる大臣に対し,(むらじ)の姓を称し,朝廷の軍事的伴造(とものみやつこ)出身で,伴造の代表的地位にあった大伴氏,物部氏の2氏を世襲的に任用した。
中国東北部遼寧省南部の遼東半島の先端にある省直轄市。人口532万(うち市部252万。1994)。旧名旅大。大連はもと青泥洼と呼ばれる小漁村にすぎなかった。19世紀半ば列強の中国侵略の進む中で注目され,日清戦争の際には日本軍が占領した。三国干渉のあと,1898年(光緒24)ロシア帝国は清朝から大連と旅順を租借し,大連を自由貿易港,旅順を軍港とした。このときニコライ皇帝の勅命によりダルニーDal’niiと命名された。

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大辞林 第三版の解説

大和朝廷における最高執政官の称。連むらじの姓かばねの最有力者が任ぜられ、大伴・物部の二氏が世襲。大伴金村失脚後、物部氏が独占したが、六世紀末に物部守屋が蘇我馬子に殺されたため消滅。 → 大臣おおおみ
中国、遼東半島南端の、渤海ぼつかいに臨む港湾都市。製鉄・造船・車両などの工業が発達。1898年ロシアが清から租借したが、日露戦争後日本の租借地となり、満州進出の拠点として発展。第二次大戦後中国に返還され、1950年旅順と合して旅大となったが、81年大連と改称。ターリエン。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① 多くの人数で連れ立つこと。
※俳諧・桜川(1674)春二「大つれも二人機嫌よ花見ざけ〈野夫〉」
② 狩りの用語で、五、六頭以上の鹿。
※弓張記(1450‐1500頃か)「大むれといふは、あまた鹿の行を云也。大つれともいふ。何もおなじ」
〘名〙 大化前代の職制の一つ。連(むらじ)は伴造(とものみやつこ)的な豪族の姓(かばね)であり、物部、大伴氏などの有力者が、大臣(おおおみ)と並んで任命された。おおいむらじ。
※書紀(720)雄略即位前(寛文版訓)「大伴連室屋(もるや)・物部連目を以て、大連(オホムラシ)と為」
〘名〙 つれが多いこと。仲間が大勢つれだつこと。おおづれ。
※歌舞伎・木間星箱根鹿笛(1880)二幕「去年より大連で、藤岡の徳さんや竺仙さんも一緒でござりますよ」
(「たいれん」とも) 中国、遼東半島の南端に近い港湾都市。渤海に臨む。一八九八年ロシアが清から租借して港湾都市を建設、ダルニーと名づけた。のち、日露戦争後のポーツマス条約で日本の租借地となった。第二次大戦後中国に返還され、一九五〇年旅順とともに旅大市となったが八一年に大連市と改称。東北地区最大の商・漁港で重化学工業も発達している。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

中国,遼東半島の南部にある海港都市
もとは青泥窪 (せいでいわ) という一漁村にすぎなかったが,19世紀以降,英仏連合軍(1859),日本(1894)の占領をへて,1898年に旅順とともにロシアの租借地となり,ロシアはダルニーと命名し,港湾を建設した。日露戦争後,租借権は日本に移って大連と改称され,第二次世界大戦後,ソ連をへて中国に返還されるまで,日本の大陸経営の基地とされた。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

大化の改新前の大和政権の最高官
連を姓 (かばね) とする最有力者が任命され,大臣 (おおおみ) と並び国政に参画。5世紀後半ごろから大伴・物部 (もののべ) 両氏が任じられた。大伴金村が半島経営の失政で失脚後,物部氏が独占。587年物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされると大連は置かれず,大化の改新で廃止され,左右大臣・内臣 (うちつおみ) が置かれた。
中国東北部,遼東半島先端にある港市
1905年日露講和条約により,日本の租借地となったが,'45年中国に返還された。

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世界大百科事典内の大連の言及

【関東州】より

…これによって関東州はその警備を関東軍にゆだねるとともに,文官の関東長官の行政的管轄下に置かれ,南満州鉄道会社(満鉄)付属地とならんで日本の南満州支配の基盤となった。とくに南端の大連は満鉄の終着点であり,かつ満州最大の呑吐港を擁して急速に発展し,1915年市制が施行され,日本の官衙,銀行,会社が多く進出した。満州事変(1931)と満州国の設立後,権限を強化した関東軍の要求にもとづき32年8月関東軍司令官が関東長官と駐満特命全権大使を兼ねることになり,さらに34年12月の在満機構改革により従来の関東庁に代わって在満日本大使館内に関東局が置かれ,全権大使(関東軍司令官)が関東州と満鉄付属地を管理し,関東軍憲兵司令官が関東局警務部長を兼ね,関東州の警察も関東軍の完全な統制下に置かれた。…

【租借地】より

…ドイツは1897年(光緒23)11月にドイツ人宣教師殺害事件を口実に青島を武力占領し,翌98年3月の条約で膠州湾を99ヵ年の期限つきで租借した。これに刺激されて同じ年にロシアは旅順,大連(各25ヵ年),三国干渉に加わらなかったイギリスもロシアとの勢力均衡を理由に威海衛(期限はロシアが旅順,大連を租借している間)と九竜半島(99ヵ年),翌年フランスは広州湾(99ヵ年)をおのおの租借したのである。イタリアも三門湾の租借を要求したが成功しなかった。…

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