朝日日本歴史人物事典 「源雅信」の解説
源雅信
生年:延喜20(920)
平安中期の公卿。鷹司,一条左大臣と称される。賜姓源氏。宇多天皇の皇子敦実親王と左大臣藤原時平の娘の子。蔵人頭 を経て天暦5(951)年,参議。天元1(978)年左大臣に昇進したが,在職16年目に病死し,正一位を贈られた。その死を聞いた人々はみな恋慕したと『権記』にある。遺骸は仁和寺(京都市右京区)に移された。長保1(999)年の忌日に娘倫子により7周忌の法事が仁和寺で営まれている(『御堂関白記』)。倫子は藤原道長(倫子より2歳年下)の妻となったが,当初,この結婚に雅信は反対であったという。『大鏡』によれば,「自分は親王たちの間で育ったため世間のことを知らないので朝延の政務や儀式のときには人より先に参内し,終わったあとも最後まで残って作法を見習った」と語っている。催馬楽をよく口ずさみ,和琴,箏,笙をよくし,「音楽堪能,一代の名匠」とうたわれた。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報