朝日日本歴史人物事典 「菅実秀」の解説
菅実秀
生年:天保1.1.8(1830.2.1)
幕末明治期の庄内藩(山形県)中老,酒田県権参事。号は月山の異名臥牛。実則の子として出羽国鶴岡に生まれた。文久3(1863)年藩主酒井忠篤のもと,松平親懐と江戸市中取り締まりに当たる。戉辰の戦後処理では,新政府に移封命令を撤回させる敏腕を発揮。明治2(1869)年大泉藩(酒田県)権参事,同7年辞任。私淑する西郷隆盛没後『南洲翁遺訓』を編集。士族救済のための松ケ岡開墾をはじめ銀行,米取り引き,製糸などの事業を興す。「昨日の我にてはすまぬ」の言の通り行動の人であった。<参考文献>赤沢経言編『臥牛先生行状』,加藤景重編『臥牛先生遺教』,加藤省一郎『臥牛菅実秀』
(三井美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報