軍歌(読み)グンカ

デジタル大辞泉 「軍歌」の意味・読み・例文・類語

ぐん‐か【軍歌】

軍隊の士気を高めるための歌。また、愛国心・軍隊生活などをうたった歌。

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精選版 日本国語大辞典 「軍歌」の意味・読み・例文・類語

ぐん‐か【軍歌】

  1. 〘 名詞 〙 兵士の士気をふるい立たせ、あるいは軍事思想を普及するために作られた歌曲。行進曲風のものが多く、時代により流行歌ともなる。
    1. [初出の実例]「曾て外山正一氏が、新体詩抄中にものせられし抜刀隊の詩は、今度我国の軍歌となすことに定め」(出典:東京横浜毎日新聞‐明治一八年(1885)七月一五日)

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改訂新版 世界大百科事典 「軍歌」の意味・わかりやすい解説

軍歌 (ぐんか)

戦意高揚,愛国精神鼓舞のため軍事を歌った歌。ときには戦友の死への悲しみを歌った悲痛な歌も軍歌といわれる。日本最初の軍歌は明治維新期における東征軍の進軍歌《トンヤレ節》(品川弥二郎の作と伝えられる)であり,はやしことばを入れた俗謡調であった。《新体詩抄》(1882)掲載の外山正一作《抜刀隊の歌》に陸軍軍楽隊雇教師フランス人ルルーが作曲した歌(1885)が初期の代表作だが,これも軍隊で歌われているうちに俗謡風に変化した。軍歌の増加は,教育勅語発布(1890)から日清戦争(1894-95)にかけての軍国主義的,国家主義的風潮の高揚と学校唱歌の普及とによるところが大きい。《来れや来れ》(1888),《道は六百八十里》(1891),《敵は幾万》(1891)などが当時の代表的なものであり,これらは俗謡調ではなく,和洋折衷小学唱歌調であり,おとなには歌いにくく,まず子どもが学校で歌ったのである。日清戦争のさいには,戦況の進展に応じて《豊島の戦》《旅順口の戦》などが作られ,また《勇敢なる水兵》《大寺少将》など個人の戦いぶりを歌ったものも歌われた。これらは山田源一郎編《大捷軍歌》(全7編,1894-97)に収められ,その緒言には〈勇武ナル国民ノ相続者タル第二国民〉のためにこの歌集が編まれたとされており,これは文部省検定済の教材であった。日露戦争(1904-05)には,その後長く歌われる《軍艦行進曲》や《戦友》(これは日中戦争以後,厭戦的気分のゆえに軍に忌避された)などが作られたが,大正期には軍歌らしい歌は作られなかった。

 1937年の日中戦争開始後,軍歌は急増するが,この時期にはラジオ,レコードを通じて《暁に祈る》《父よあなたは強かった》《麦と兵隊》など軍国歌謡といわれる歌が増えた。41年には内閣情報局の海軍大佐平出英夫が〈音楽は軍需品なり〉といって高度国防国家建設における音楽の重要な役割を説き,《同期の桜》《ラバウル海軍航空隊》《轟沈》《空の神兵》などがつぎつぎに作られた。しかし露骨に軍事を歌った歌は国民の支持を得られなかった。第2次大戦後,軍歌は排除されたが,50年代以降,〈懐かしのメロディ〉や運動会の応援用に登場するようになった。

 外国にもsoldier's song(英語),Soldatengesang(ドイツ語)といわれる軍歌があり,また戦意高揚のための軍歌として歌われていたフランスの《ラ・マルセイエーズ》やベルギーの《ブラバントの歌》などが,後に国歌に採用されるようになったという例もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍歌」の意味・わかりやすい解説

軍歌
ぐんか

基本的には兵士が行軍しながら歌うものであり、この定義によると、おそらく世界中のほとんどの地域、各時代に、軍歌に属するものが存在しているといえる。また、戦闘行為にまつわる歌唱は多くの民族にみいだされる。しかし一般にはこの語は、わが国において明治以降につくられた、軍隊の士気を高め、また国民の愛国精神を発揚するための歌をさしている。

 この意味でのわが国最初の軍歌は「宮さん宮さんお馬の前で……」の歌い出しで有名な『トンヤレ節』(1868)とされる。これは東征軍が江戸への進軍中に歌ったもので、江戸期の俗謡調をとどめながらも、欧米の行進曲の影響が認められる。この歌は、明治維新への期待感から数多くの替え歌となって人々の間に広まった。しかし、維新政府に対する期待がすぐに幻滅となると、人々は江戸期からの俗謡で政府を批判するようになる。こうした背景抜きには、文部省の小学唱歌制作、指定は考えられないが、国民の思想統制の手段としての側面は、その後の軍歌にも色濃く表れている。『トンヤレ節』自体、長州の品川弥二郎(やじろう)作詞・大村益次郎(ますじろう)作曲であるといわれており、もともと官製軍歌なのである。

 日清(にっしん)戦争が近づくと軍歌は急増する。代表的なものとして『来(きた)れや来れ』(外山正一(とやままさかず)作詞・伊沢修二作曲、1888)、『敵は幾万』(山田美妙(びみょう)作詞・小山作之助作曲、1891)があげられるが、これらはいわゆる「ヨナ抜き」の五音音階でできており、以後多くの軍歌がこの音階によるものとなる。この音階は小学唱歌でも多用され、江戸期までの人々の音感覚に対抗し、人々の創造性を萎縮(いしゅく)させる役割を担った。しかしその後の日露戦争期にもっとも流行した『戦友』(真下飛泉(ましもひせん)作詞・三善和気(みよしわき)作曲、1905)は、官製軍歌ではないうえ、「忠君愛国」の精神を歌う歌詞内容ではなく、また陰旋法的な旋律であり、人々の共有してきた音楽文化の根強さを感じさせる。さらに、大正期にはほとんど軍歌らしきものはつくられなかったのである。そして昭和になって、日中戦争開始(1937)前後からふたたび軍歌が多くつくられるようになってからも、官製軍歌はあまり人々に受け入れられず、『露営の歌』『暁に祈る』『父よあなたは強かった』などの「軍国歌謡」とよばれた民間作曲家の作品が広く兵士にも好まれた。

 なお、欧米でソルジャーズ・ソングsoldiers' songなどとよばれるものがあり、第二次世界大戦中にアメリカで広く歌われた『ゴッド・ブレス・アメリカ』などがその例である。また、フランス国歌となっている『ラ・マルセイエーズ』も、もともと兵士たちが歌ったものであった。

[卜田隆嗣]

『堀内敬三著『定本 日本の軍歌』(1969・実業之日本社)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「軍歌」の解説

軍歌
ぐんか

(1)陸・海軍が士気を鼓舞するために制定した歌。1885年(明治18)陸軍軍楽隊雇教師ルルーが作曲した外山正一(とやままさかず)作詞の「抜刀隊」が第1号。同年陸・海軍は喇叭(ラッパ)吹奏歌を制定。第2次大戦に至るまで「軍艦行進曲」や「愛馬進軍歌」など軍隊でうたわれた歌は多い。(2)軍隊以外で制作された戦意高揚の愛国歌謡。「露営の歌」や「出征兵士を送る歌」などで,レコードやラジオを通じて愛国精神の浸透に大きな役割をはたした。

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