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外山正一 とやままさかず

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

外山正一
とやままさかず

[生]嘉永1(1848).9.27. 江戸
[没]1900.3.8. 東京
明治の教育家,社会学者。文学博士。号は「ゝ山 (ちゅざん) 」。蕃書調所箕作麟祥 (みつくりりんしょう) の塾で洋学を学び,開成所教授方となった。慶応2 (1866) ~明治1 (68) 年幕府留学生としてイギリスに留学。

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デジタル大辞泉の解説

とやま‐まさかず【外山正一】

[1848~1900]教育家・詩人。江戸の生まれ。号、ゝ山(ちゅざん)。英米に留学。東大総長・文部大臣などを歴任。学制の整備、育英事業に貢献。また、共著「新体詩抄」を刊行し、日本の近代詩の先駆をなした。

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百科事典マイペディアの解説

外山正一【とやままさかず】

社会学者,教育家。号はゝ山(ちゅざん)。江戸生れ。幕府の留学生として英国に留学。さらに米国に留学し,1876年帰国して,開成校教授。その後,東京大学社会学講座の初代担任者となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

外山正一 とやま-まさかず

1848-1900 明治時代の社会学者,教育者,詩人。
嘉永(かえい)元年9月27日生まれ。英米に留学後,開成学校教授をへて東京大学教授となり,明治30年東京帝大総長。翌年文相。この間,井上哲次郎らと「新体詩抄」を刊行。またスペンサーの進化論の紹介,羅馬(ローマ)字会の創設など多方面に啓蒙活動を展開した。貴族院議員。明治33年3月8日死去。53歳。江戸出身。号はゝ山(ちゅざん)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

外山正一

没年:明治33.3.8(1900)
生年:嘉永1.9.27(1848.10.23)
明治前半期の社会学者,教育行政家。幕臣外山忠兵衛,廉子の長男として江戸小石川柳町(東京都文京区)に生まれる。蕃書調所に入り,2年後開成所教授方となる。6年間の英・米留学を終えて直ちに東京開成学校教授となる。明治10(1877)年東京大学創設第1陣の邦人教授となり,以降文学部長,文科大学長,東京帝国大学総長などを歴任,一時期文相にも就任。帝大社会学講座の初代担当教授。明治20年代から積極的に大学論を展開し『藩閥の将来』『教育制度論』を刊行。漢字廃止を主張し羅馬字会を創設,井上哲次郎らと『新体詩抄』を,上田万年らと『新体詩歌集』を刊行,東京女学館,正則中学校の創設など活動は多方面にわたり,赤門の暴君,赤門天狗との異名を持つ行動的知識人といわれる。<著作>『ゝ山存稿』(前・後編)<参考文献>三上参次『外山正一先生小伝』,昭和女子大学編『近代文学研究叢書』4巻

(中野実)

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世界大百科事典 第2版の解説

とやままさかず【外山正一】

1848‐1900(嘉永1‐明治33)
社会学者,教育者。東京大学社会学講座の初代担任者として,日本における講壇社会学の創設に力を尽くした。江戸小石川に生まれる。幼名は捨八,号はゝ山(ちゆざん)。1866年(慶応2),幕命で中村正直,林董(ただす)らとイギリスに渡り,さらにアメリカに留学(1870)して学位を得る。76年帰国して開成校教授となる。90年貴族院議員に勅選され,97年東京帝国大学総長となる。98年伊藤博文内閣の文相として文教政策に専念しようとしたが,その任期わずか2ヵ月であった。

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大辞林 第三版の解説

とやままさかず【外山正一】

1848~1900) 啓蒙思想家・社会学者・詩人。江戸、小石川生まれ。号、ゝ山ちゆざん。蕃書調所に学び英米に留学、帰国後東大で社会学を講じた。東大総長・文相を歴任。また、矢田部良吉・井上哲次郎と「新体詩抄」を刊行、詩の改良運動を試み、近代詩の起点となった。主著「民権弁惑」「漢字破」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

外山正一
とやままさかず
(1848―1900)

明治期の学者、文化人。嘉永(かえい)元年9月27日静岡藩士の家に生まれる。幼名捨八、号ゝ山(ちゅざん)。1866年(慶応2)幕府留学生としてイギリスへ留学。帰国後、静岡学校教授兼洋学部長を経て1870年(明治3)外務省弁務少記として森有礼(ありのり)とともにアメリカ駐在、のち辞任しミシガン大学で哲学、理学を修め、1876年帰国。開成学校教授、東京大学、帝国大学、東京帝国大学教授を歴任し、1893年から日本初の社会学講座を担当。東京大学文科大学長、東京帝国大学総長を務め、1898年第三次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣文部大臣となる。進化論・スペンサー学説の紹介、ローマ字学会の創設、音楽・絵画・演劇の改良など、その活動は多岐にわたり、矢田部良吉、井上哲次郎(巽軒(そんけん))らと『新体詩抄』(1882)を刊行して、日本近代詩史上の先駆をなすなど、明治の文化・教育に少なからぬ影響を与えた。高等教育会議議員、貴族院議員、初の東京帝国大学名誉教授。著書に『ゝ山存稿』(1909)がある。明治33年3月8日没。[小股憲明]
『三上参次著『外山正一先生小伝』(1908・私家版/1987・大空社)』

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世界大百科事典内の外山正一の言及

【英語】より

…当時の英語学習は,英語を介して西欧事情に通じ,西欧の学問,知識を吸収するのが目的であったから(しかもそれも書物によらざるを得なかった),したがってその教授・学習法は訳解が中心で,ちょうど漢文の〈返り点・送りがな〉方式に似ていた(このやり方はのちに変則英語教育と呼ばれた)。明治中期には,神田乃武(ないぶ),斎藤秀三郎,外山正一らによって,発音・会話と直読直解を重視する正則英語教育が唱えられ,正則英語学校の開設(1896)や,外山の《正則文部省英語読本》とその解説書の発刊を見た。だが,当時もまだ英語は知識吸収の媒体としての性格が相変わらず強く,大勢としては訳読による理解が中心で,英語での発表の教育はまったく不十分であった。…

【演劇改良運動】より

…有職故実家による史実や時代考証の重視,道徳的規範にのっとった人物像の設定など,いわゆる〈活歴劇〉がそれで,1878年6月,勘弥の新富座開場に際して団十郎は《松栄千代田神徳(まつのさかえちよだのしんとく)》を上演したが,民衆の支持を得られなかった。しかし,条約改正問題を背景とした鹿鳴館時代の諸事万端の改良論流行の中で,86年7月,伊藤博文首相は,勘弥,団十郎,5世尾上菊五郎を招いて演劇改良の所見を示し,8月に新帰朝者で娘婿の末松謙澄を首唱者とし,外山正一,渋沢栄一を後援者に演劇改良会をつくらせた。その趣意書には,従来演劇の陋習の改良,脚本作者の地位の向上,構造完全な演技場の設立という目的が掲げられ,新聞雑誌はいっせいに演劇改良論議を掲載した。…

【新体詩抄】より

…1882年(明治15)に丸善から刊行の日本最初の近代詩集。帝国大学(のちの東京大学)の教官外山正一(ゝ山(ちゆざん)),井上哲次郎(巽軒(そんけん)),矢田部良吉(尚今(しようこん))の共著で,3人の序文,翻訳詩14編,創作詩5編から成る。伝統的な短い詩形を近代には不向きなものと断定し,西洋詩の模倣を合言葉としたが,用語や発想は短歌を基礎としている。…

【ピューリタン革命】より

…したがってこの革命に対する認識が深化していくのは,明治維新後ことに自由民権運動期を待たねばならなかった。すなわちF.P.G.ギゾーなどの著書の翻訳を通してこの革命の史実がしだいに伝えられ,それと並んで啓蒙的な書物,たとえば外山(とやま)正一の《民権弁惑》(1880)などにはかなり詳細な革命の経過叙述がみられるようになった。だが自由民権運動の原点がフランス革命に求められたことや,当時イギリスが〈万事の改革すでに成りたる〉立憲君主制のイメージでとらえられていたことが相まって,この〈革命〉への全面的な認識には至らなかった。…

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