明治期の学者、文化人。嘉永(かえい)元年9月27日静岡藩士の家に生まれる。幼名捨八、号ゝ山(ちゅざん)。1866年(慶応2)幕府留学生としてイギリスへ留学。帰国後、静岡学校教授兼洋学部長を経て1870年(明治3)外務省弁務少記として森有礼(ありのり)とともにアメリカ駐在、のち辞任しミシガン大学で哲学、理学を修め、1876年帰国。開成学校教授、東京大学、帝国大学、東京帝国大学教授を歴任し、1893年から日本初の社会学講座を担当。東京大学文科大学長、東京帝国大学総長を務め、1898年第三次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣文部大臣となる。進化論・スペンサー学説の紹介、ローマ字学会の創設、音楽・絵画・演劇の改良など、その活動は多岐にわたり、矢田部良吉、井上哲次郎(巽軒(そんけん))らと『新体詩抄』(1882)を刊行して、日本近代詩史上の先駆をなすなど、明治の文化・教育に少なからぬ影響を与えた。高等教育会議議員、貴族院議員、初の東京帝国大学名誉教授。著書に『ゝ山存稿』(1909)がある。明治33年3月8日没。
[小股憲明]
『三上参次著『外山正一先生小伝』(1908・私家版/1987・大空社)』
社会学者,教育者。東京大学社会学講座の初代担任者として,日本における講壇社会学の創設に力を尽くした。江戸小石川に生まれる。幼名は捨八,号はゝ山(ちゆざん)。1866年(慶応2),幕命で中村正直,林董(ただす)らとイギリスに渡り,さらにアメリカに留学(1870)して学位を得る。76年帰国して開成校教授となる。90年貴族院議員に勅選され,97年東京帝国大学総長となる。98年伊藤博文内閣の文相として文教政策に専念しようとしたが,その任期わずか2ヵ月であった。〈スペンサー輪読の番人〉という世評が立ったくらい,スペンサー思想に傾倒し,進化論的人権論を鼓吹する《民権弁惑》(1880)を著して,国権論者加藤弘之と対立した。その学風は実証的で,日本古代の家族制度や政治制度を考究した諸論考は,社会学的実証主義の素地をなすものである。1882年には井上哲次郎,矢田部良吉らと《新体詩抄》を出版し,86年には演劇改良会の設立に尽力し,《演劇改良論私考》を著した。また,《ゝ山存稿》全2巻(1909)がある。〈万歳三唱〉は大学総長時代に彼が発案したものだという。
執筆者:高橋 徹
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(中野実)
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1848.9.27~1900.3.8
明治期の教育者・社会学者・詩人。江戸生れ。号はヽ山(ちゅざん)。蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で英学を学び,1866年(慶応2)幕命でイギリスに渡る。のち外務省勤務でアメリカに渡るが,外務省を辞してミシガン大学に留学,化学・哲学を学ぶ。76年(明治9)開成学校教授,93年帝国大学ではじめて社会学を担当。97年東京帝国大学総長,翌年文相。「新体詩抄」刊行,進化論の紹介,漢字廃止とローマ字化の提唱など多方面で活躍した。
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…当時の英語学習は,英語を介して西欧事情に通じ,西欧の学問,知識を吸収するのが目的であったから(しかもそれも書物によらざるを得なかった),したがってその教授・学習法は訳解が中心で,ちょうど漢文の〈返り点・送りがな〉方式に似ていた(このやり方はのちに変則英語教育と呼ばれた)。明治中期には,神田乃武(ないぶ),斎藤秀三郎,外山正一らによって,発音・会話と直読直解を重視する正則英語教育が唱えられ,正則英語学校の開設(1896)や,外山の《正則文部省英語読本》とその解説書の発刊を見た。だが,当時もまだ英語は知識吸収の媒体としての性格が相変わらず強く,大勢としては訳読による理解が中心で,英語での発表の教育はまったく不十分であった。…
…有職故実家による史実や時代考証の重視,道徳的規範にのっとった人物像の設定など,いわゆる〈活歴劇〉がそれで,1878年6月,勘弥の新富座開場に際して団十郎は《松栄千代田神徳(まつのさかえちよだのしんとく)》を上演したが,民衆の支持を得られなかった。しかし,条約改正問題を背景とした鹿鳴館時代の諸事万端の改良論流行の中で,86年7月,伊藤博文首相は,勘弥,団十郎,5世尾上菊五郎を招いて演劇改良の所見を示し,8月に新帰朝者で娘婿の末松謙澄を首唱者とし,外山正一,渋沢栄一を後援者に演劇改良会をつくらせた。その趣意書には,従来演劇の陋習の改良,脚本作者の地位の向上,構造完全な演技場の設立という目的が掲げられ,新聞雑誌はいっせいに演劇改良論議を掲載した。…
…1882年(明治15)に丸善から刊行の日本最初の近代詩集。帝国大学(のちの東京大学)の教官外山正一(ゝ山(ちゆざん)),井上哲次郎(巽軒(そんけん)),矢田部良吉(尚今(しようこん))の共著で,3人の序文,翻訳詩14編,創作詩5編から成る。伝統的な短い詩形を近代には不向きなものと断定し,西洋詩の模倣を合言葉としたが,用語や発想は短歌を基礎としている。…
…したがってこの革命に対する認識が深化していくのは,明治維新後ことに自由民権運動期を待たねばならなかった。すなわちF.P.G.ギゾーなどの著書の翻訳を通してこの革命の史実がしだいに伝えられ,それと並んで啓蒙的な書物,たとえば外山(とやま)正一の《民権弁惑》(1880)などにはかなり詳細な革命の経過叙述がみられるようになった。だが自由民権運動の原点がフランス革命に求められたことや,当時イギリスが〈万事の改革すでに成りたる〉立憲君主制のイメージでとらえられていたことが相まって,この〈革命〉への全面的な認識には至らなかった。…
※「外山正一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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