共産主義者。マルクス主義の立場からの日本資本主義発達史研究の開拓者の1人。明治33年4月30日北海道生まれ。慶応義塾大学在学中から学生運動、労働者教育運動に参加。卒業後は産業労働調査所で、日本および世界の政治・経済の現状分析および日本資本主義発達史研究に従事し、猪俣津南雄(いのまたつなお)などの日本資本主義論に厳しい批判を行った。1931年(昭和6)から『日本資本主義発達史講座』(1932~33)を企画し、中心となってその編集にあたったが、この『講座』に予定された彼自身の論文は、ついに書かれることなく終わった。32年10月、日本共産党中央部が一斉検挙でほとんど壊滅したあと、彼が、片足は小学生のときの病気がもとで義足であるうえに、重い肺結核を病む身で、党中央部の再建を目ざして地下活動に入ったためであった。地下に潜行した彼は、獄中の最高幹部佐野学(まなぶ)、鍋山貞親(なべやまさだちか)が転向声明(1933年6月)を発するという困難な状況のもとで党中央部の再建と機関紙『赤旗(せっき)』の刊行に努めたが、33年11月28日に逮捕され、翌34年2月19日東京・品川署で獄死した。まだ33歳の若さであった。生前に刊行された彼の著作は『日本資本主義発達史』(1930)一冊だけだが、この一冊は講座派理論の礎石を据えたものであり、その後の日本資本主義論に多大の影響を及ぼした。
[山崎春成]
『『野呂栄太郎全集』全2冊(1965、67・新日本出版社)』▽『塩沢富美子著『野呂栄太郎の想い出』(1976・新日本出版社)』▽『塩沢富美子著『野呂栄太郎とともに』(1986・未来社)』
マルクス主義経済学者。北海道生れ。慶応大学在学中から社会問題研究会を結成,また産業労働調査所や総同盟の労働学校に関係し,社会問題,社会運動との関係を深めた。1926年学連事件に連座,懲役10ヵ月の判決を受けた。この間産労の常任委員となり,日本資本主義の研究を続け,高橋亀吉,猪俣津南雄らの批判を行い,一躍理論的権威を高めた。30年に《日本資本主義発達史》を刊行,31年《日本資本主義発達史講座》の刊行に着手,完了まで中心的役割を担った(講座派)。これより前の1930年初め共産党に入党,32年10月の熱海事件(32年テーゼの諸任務を遂行する体制を整えるべく熱海で会議を開いたが,警察当局に探知されて検挙者多数を出し,党組織が壊滅的な打撃を受けた)後は,党中央の再建に従事,地下活動に入ったが,33年11月検挙され,各署たらい回しのあげく,病状悪化,死去した。
執筆者:渡辺 悦次
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昭和期の経済学者,社会運動家
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1900.4.30~34.2.19
大正・昭和前期の社会科学者。共産党の理論的指導者。北海道出身。慶大卒。学生時代から社会運動に関係し,1926年(昭和元)1月の京都学連事件に連坐し,29年の4・16事件で検挙。同年プロレタリア科学研究所設立に参画。この頃共産党に入党し,のち「日本資本主義発達史講座」全7巻の企画を主導した。32年末から地下活動に入り,翌年11月逮捕。拷問による病状悪化で死去。「野呂栄太郎全集」全2巻。
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…当時のマルクス主義者はこの危機打開の道をめぐって二つの陣営に分かれて対立した。その代表的論争は,野呂栄太郎と猪俣津南雄との戦略論争である。野呂は日本共産党の〈27年テーゼ〉を支持する立場から,日本国家の民主主義化のための闘争は,不可避的に封建的残存物にたいする闘争から資本主義それ自体にたいする闘争に転化するであろうと主張した。…
…完結1935)。30年代になると,ロシア・マルクス主義の解釈体系が日本のマルクス主義者のあいだでも主流を占めるようになったが,それでも野呂栄太郎の日本資本主義論をはじめ,歴史的研究の分野でマルクスの理論を創造的に適用する一連の業績が現れたし,河上肇や櫛田民蔵らをはじめとするマルクス経済学や社会理論,歴史理論の独創的解釈が試みられ,戸坂潤に指導された〈唯物論研究会〉のマルクス主義哲学の分野での意欲的な展開も行われた。しかし,日本におけるマルクス主義は,日本軍国主義体制の徹底的な弾圧により,社会運動の方面はもとより理論活動の方面でも第2次世界大戦の終戦(1945)まで雌伏を余儀なくされた。…
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[日本資本主義論争]
そのなかで最も重要な論争は,いわゆる日本資本主義論争であった。 まず,野呂栄太郎,平野義太郎,山田盛太郎らによって編集された《日本資本主義発達史講座》(1932‐33)に結集したマルクス経済学者は,一般に講座派と呼ばれたが,彼らは当時の日本資本主義の性格を次のように理解した。明治維新はまだブルジョア革命ではなく,封建的土地所有の単なる再編過程にすぎない。…
※「野呂栄太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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