政治家。共産主義者。山口県萩(はぎ)市出身。慶応義塾大学在学中に友愛会(日本労働総同盟の前身)に入会し、卒業後はその本部書記となる。1919年(大正8)イギリスに渡航し、翌1920年イギリス共産党に入党したが、1921年国外退去を命ぜられ、モスクワのプロフィンテルン本部に赴く。1922年に帰国し、総同盟本部に勤務しながら総同盟内に左派グループをつくり、同年7月日本共産党の創立に参加した。1923年第一次共産党事件で検挙され、1924年産業労働調査所の設立とともにその所長となる。1928年(昭和3)三・一五事件で検挙投獄されたが、眼疾治療のために仮出獄したのを機に、1931年日本を脱出してソ連に入国した。1935年コミンテルン執行委員となり、人民戦線路線にたつ新しい日本の運動方針を作成し、アメリカに渡って『国際通信』を発行するなど対日工作を行った。
1940年延安(えんあん/イエンアン)に赴き、日本人捕虜による日本人反戦同盟を組織する。戦争中から天皇問題に対し柔軟な方針を発表し、敗戦後の1946年(昭和21)1月帰国して民主戦線の結成を訴えた。同年衆議院議員に当選し、アメリカ占領軍下での平和革命の実現を唱えたが、1950年1月この方針はコミンフォルムから野坂理論として名指しで批判され、日本共産党の分裂後は主流派に属した。同年6月占領軍により追放され、以後5年間地下活動を行う。1955年日本共産党第一書記となり、1958~1982年中央委員会議長、辞任後は名誉議長となる。1956~1977年参議院議員。1993年、戦前の党規違反を理由に除名された。
[赤澤史朗]
『野坂参三資料編纂委員会編『野坂参三のあゆんだ道』(1964・新日本出版社)』▽『野坂参三著『風雪のあゆみ』1~8(1971~1989・新日本出版社)』▽『和田春樹著『歴史としての野坂参三』(1996・平凡社)』
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
大正・昭和期の政治家 元・日本共産党議長;元・参院議員;元・衆院議員。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大正・昭和期の社会運動家,政治家。山口県生れ。1913年慶応大学在学中に友愛会に入り,卒業後,常任書記となり,機関紙《労働及産業》に野坂鉄の筆名で執筆した。19年友愛会派遣で渡英,翌年イギリス共産党創立とともに入党。22年帰国し総同盟顧問となる。同年日本共産党入党。翌年第1次共産党事件で検挙。24年産業労働調査所創設。28年三・一五事件で検挙・投獄されたが,30年病気のため仮出獄する。31年党中央委員に選ばれ,コミンテルン日本代表として入ソ,40年まで活動した。同年中国の延安に赴き,岡野進の名で日本人民解放連盟などで活動した。敗戦後の46年に15年ぶりに帰国,帰国歓迎大会で民主戦線の結成を提唱した。共産党中央委員に選出され,同年衆院議員,50年の占領軍による公職追放まで3期連続当選。非合法活動を経て55年六全協で党第一書記。58年第7回大会で議長。この間参院議員4期当選。82年名誉議長就任。戦前に山本懸蔵をスパイとしてコミンテルンに告発していたことが判明,92年除名された。
執筆者:渡辺 悦次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1892.3.30~1993.11.14
昭和期の社会運動家・政治家。山口県出身。慶大在学中から労働運動に参加。1922年(大正11)日本共産党に入党。日中戦争中の40年ソ連から延安に入り,中国共産党とともに日本軍兵士の反戦運動を組織。戦後,共産党幹部,中央委員会議長を務めた。92年(平成4)戦前に同志をスパイ容疑でコミンテルンに告発したことが明るみに出て党を除名される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… 創立後,党は《前衛》7・8月号掲載の山川の〈無産階級運動の方向転換〉を指針として労働者や知識人に影響を拡大するとともに,1923年2月の第2回大会で,コミンテルン第4回大会のとき片山の参加で起草された〈君主制の廃止〉をはじめとする民主主義革命を骨子とする〈日本共産党綱領草案〉を審議したが,採択には至らなかった。同年5月の早稲田軍教事件をきっかけに当局は共産党の存在を知り,堺,山川,徳田,市川正一,野坂参三ら党員を逮捕し29名を治安警察法違反で起訴した。この第1次共産党事件に続く関東大震災時の社会主義者の虐殺を含む弾圧のなかで赤松克麿らの解党論が台頭し,24年2月に荒畑寒村の反対はあったが解党を決議した。…
…1939年11月山西省で八路軍の指導・援助の下に日本兵士覚醒連盟が組織され,同じころ鹿地亘によって国民党地区の重慶に本部をおく在華日本人民反戦同盟が結成された。40年5月延安にも反戦同盟延安支部がつくられ,以後八路軍の援助と野坂参三(岡野進)の指導で華北の日本人反戦組織は拡大し,42年8月覚醒連盟と反戦同盟は合流して反戦同盟華北連合会となり,また新四軍地区にも支部が生まれた。日本の敗北必至となった44年4月,反戦同盟は反戦とともに軍部打倒・日本民主化をめざすより広い政治綱領をもった日本人民解放連盟に発展的に改組され,このころ華北・華中の連盟員は二百数十名を数えた。…
※「野坂参三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新