1925-26年に起こった最初の治安維持法適用の学生運動弾圧事件。1922年11月7日,ロシア革命5周年記念の日に東大新人会を中心に学生連合会が結成され,24年9月には学生社会科学連合会と改称した。学連は,25年7月,京大で第2回大会を開催し,会員はマルクス主義を指導精神とし無産階級運動の一翼としてその解放のために教育運動に従事するという主旨のテーゼを採択し,連合体を全国的集権組織にする規約改正,会員をマルクス=レーニン主義の立場で教育する教程作成などを決定した。当時の学連加盟校約60,会員約1600であった。この年,小樽高商事件などを契機に早大,東大その他全国の大学などで反軍運動が高まっていたが,12月1日,京都府警の特別高等警察は,同志社大学での軍事教練反対ビラの掲示を口実に同志社大と京大の学生33名を検挙したが,証拠不十分で釈放した。しかし,警察当局は,学連大会の決定が治安維持法,出版法などに違反するとして,翌26年1月から4月にかけて京大はじめ学連の中心メンバーを検挙し,岩田義道,鈴木安蔵,石田英一郎ら京大学生20名ほか村尾薩男,野呂栄太郎,林房雄など計38名を起訴した。これと同時に河上肇,河野密,山本宣治,河上丈太郎らの教授も家宅捜索を受けた。なお1月14日以降8ヵ月間,新聞記事は差し止められた。京都地裁の判決は,被告らがマルクス=レーニン主義を指導理論としてプロレタリア独裁を目ざしているとして最高刑禁錮1年,以下全員有罪とした。判決に検事側は控訴したが,裁判中の28年3月15日に共産党検挙事件(三・一五事件)があると,関係ありと目された被告には懲役7年から3年の判決が下された。すでに24年秋の高校校長会議は社会科学研究会の解散を決定していたが,学連事件後は,東大新人会や各大学の社会科学研究団体を非合法化し,文部省は〈思想善導〉のための部局を整備して学生運動を弾圧した。学連は事件を学問の自由に対する弾圧だとして,抗議,請願,犠牲者救援運動に立ち上がり,学生自由擁護同盟を組織して早大の大山郁夫教授留任運動はじめ個別的問題をも闘った。
執筆者:岡本 宏
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全日本学生社会科学連合会(学連)の会員が治安維持法違反の最初の適用を受け、活動を弾圧された事件。京都学連事件、京都学生事件ともいう。1925年(大正14)12月1日、不穏びらを口実に京都帝大、同志社大の学生33名が逮捕され(第一次)、いったん釈放されたが、翌26年1~4月に、河上肇(はじめ)、河上丈太郎(じょうたろう)、新明(しんめい)正道ら諸教授が家宅捜索を受けるとともに、岩田義道(よしみち)、鈴木安蔵、石田英一郎(京都帝大生)、野呂栄太郎(のろえいたろう)(慶大卒)、後藤寿夫(林房雄、東京帝大生)らの学生たち38名が治安維持法違反・出版法違反・不敬罪を理由に全国的に検挙された(第二次)。9月までに全員が釈放されたが、27年(昭和2)5月30日の第一審(京都地裁)判決では、全員が治安維持法違反で有罪とされた。控訴審の公判は翌年3月5日から開かれたが、この直後、第二次共産党事件(三・一五事件)があり、17名がこれにも連座したため分離され、29年12月12日、大阪控訴院は残りの21名のうち18名に懲役7年以下の有罪、3名に無罪の判決を下した。この事件により、以後学生運動への弾圧が一段と強化され、学生も左右に分裂した。なお、被告の大部分は、その後無産階級運動の指導者や社会科学研究の学徒として進歩的役割を果たしている。
[佐藤能丸]
『菊川忠雄著『学生社会運動史』増補改訂(1947・海口書店)』▽『松尾浩也著『京都学連事件』(『日本政治裁判史録 昭和・前』所収・1970・第一法規出版)』▽『奥平康弘著『治安維持法小史』(1977・筑摩書房)』
大正時代末におきた左翼・社会主義的な学生運動に対する政府による最初の弾圧事件。ロシア革命の影響などにより左翼的学生運動が活発化し,1922年(大正11)に東京帝国大学新人会,早稲田大学文化会,第一高等学校社会思想研究会などを中心として全国学生連合会(学連:SF)が結成される。1924年には学生社会科学連合会(SFSS)と改称する。この学連が1925年12月,京都大学で第2回大会を開催し,マルクス主義を指導精神として無産階級運動を展開する綱領を採択する。これに対し京都府警は,治安維持法を初めて適用して学連の指導者たちを逮捕・拘禁した。このため京都学連事件とも呼ばれる。翌26年には,この事件に関連して全国の社会問題研究会等に所属する学生の検挙が続いた。事件を契機として,文部省は学生の思想運動,左傾化を防ぐために思想善導の対策に本格的に乗り出すことになる。1928年(昭和3),文部省は東大新人会,東北・九州各帝国大学の社会科学研究会に解散命令を出した。
著者: 斉藤泰雄
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…以後,日本共産党の外郭団体としての性格をもつようになる(1929年11月7日には日本共産青年同盟へと〈戦闘的解消〉をする)。この時期から警察当局の監視はいっそう厳しくなり,25年11月同志社大学内にはられた軍事教練反対ビラが契機となって,治安維持法が初めて適用されるにいたった(学連事件)。また,このころから文部省は学生の思想運動・左傾化を防ぐため,〈思想善導〉にのりだした。…
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