1930年代におこなわれた日本資本主義論争で,日本資本主義における封建制の存在を強調した学派。名称の由来は,1932年から翌年にかけて野呂栄太郎・平野義太郎・山田盛太郎・大塚金之助の編集によって刊行された《日本資本主義発達史講座》(岩波書店,1982復刊)にこの学派が結集したことによる。おもなメンバーは上記4人のほか,羽仁五郎・服部之総・小林良正・山田勝次郎・井汲卓一・風早八十二・細川嘉六らで,相川春喜・井上晴丸・守屋典郎らも加わった。その主張は野呂《日本資本主義発達史》(1930),山田盛太郎《日本資本主義分析》(1934)などにもまとめられた。この学派は,細部まで意見が一致していたわけではないが,日本農業における半封建的地主制の支配を認め,農業革命の必然性を主張し,天皇制の性質を絶対主義的とみなす点で共通していた。この主張はコミンテルンの27年テーゼ,32年テーゼ,とくに後者に即応するもので,その影響は経済学から歴史学・政治学・法学・その他社会科学の諸分野にわたり,戦後にまで及んだ。また,狭義のアカデミーや社会運動集団の枠を越えて,広く知識人に歴史の構造的把握や社会科学的思考のいかなるものかを具体的に示した点で影響は大きかった。講座派の主張に対しては地主制の封建的性質を否定し天皇制をブルジョア的性質とみる労農派が批判を加え,両者のあいだに日本資本主義論争が展開された。山田盛太郎・平野・小林・相川ら講座派の主要メンバーは36年コム・アカデミー事件により検挙された。
→日本資本主義論争
執筆者:江口 圭一
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1930年代の日本資本主義論争で,山田盛太郎「日本資本主義分析」および平野義太郎「日本資本主義社会の機構」の主張・方法にほぼ賛同し,日本資本主義の発展とその矛盾を半封建的諸特質との関連で把握しようと試みた学派。「日本資本主義発達史講座」の主要執筆メンバーであったことにより,この名称が定着。労農派と激しい論争を展開した。日本農業における半封建的地主制の支配を認め,明治維新後の天皇制国家を絶対主義国家と規定する点に特徴があり,その主張は,当時のコミンテルンの32年テーゼの主旨ともほぼ一致していた。代表的理論家は,山田・平野のほか,野呂栄太郎・羽仁五郎・服部之総(しそう)・大塚金之助ら。講座派理論は,日本の社会科学諸部門のその後の発展に大きな影響を及ぼした。
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… それとともに,《資本論》の経済理論に基づき,日本資本主義の歴史的特性をどのように明らかにすべきかをめぐり,マルクス学派の内部に大規模な日本資本主義論争が展開される。そのなかで,野呂栄太郎,山田盛太郎,羽仁五郎らの講座派(封建派)は,コミンテルンの指示による日本共産党の二段階革命路線を支持し,明治維新後の日本の農村にも封建的地主制が存続しており,これと都市のブルジョアジーとの双方に支えられた絶対主義的天皇制の変革をともなうブルジョア民主主義革命が,社会主義革命に先だってまず行われなければならないと主張していた。これに対し,山川均,荒畑寒村,向坂逸郎らの労農派は,明治維新がすでにブルジョア革命であり,その後の日本社会は資本主義の発展に規定されており,農民もますます賃金労働者に転化しつつあるとみて,一段階革命路線を支持したのであった。…
…1936年の講座派研究者に対する検挙事件。《日本資本主義発達史講座》の刊行(1932‐33)にともない,明治維新や地主制の性格をめぐる日本資本主義論争は白熱化した。…
…
[論争の争点]
論争の主要な争点の第1は,地主的土地所有の本質規定をめぐるものである。《講座》に結集した学者たち(通称講座派)は,地主が取り立てる現物・高額の小作料は,小作農民の全剰余労働を搾取する高率小作料であって,本質において封建的な半封建地代であるとした。これに対して,櫛田民蔵,猪俣ら(労農派)は土地は商品化しており,地主・小作の関係は契約にもとづき,土地緊縛などの経済外的強制も存在しないのであるから,本質的にいって近代的な前資本主義地代であると主張した。…
…
[日本資本主義論争]
そのなかで最も重要な論争は,いわゆる日本資本主義論争であった。 まず,野呂栄太郎,平野義太郎,山田盛太郎らによって編集された《日本資本主義発達史講座》(1932‐33)に結集したマルクス経済学者は,一般に講座派と呼ばれたが,彼らは当時の日本資本主義の性格を次のように理解した。明治維新はまだブルジョア革命ではなく,封建的土地所有の単なる再編過程にすぎない。…
… そのなかで,1932年コミンテルンは〈32年テーゼ〉を示し,日本を半封建的地主とブルジョアに依拠する絶対主義的天皇制国家と規定して,社会主義革命へ強行的に転化するブルジョア革命を日本革命の戦略とした。このような日本資本主義(社会)像をめぐっての論争は,野呂栄太郎などによって企画され,羽仁五郎,服部之総,山田盛太郎,平野義太郎らマルクス学者の執筆する《日本資本主義発達史講座》(1932‐33)となり,これを契機に,猪俣津南雄,向坂逸郎,櫛田民蔵らの労農派と《講座》執筆者ら講座派の間で,日本社会の特質をめぐって日本資本主義論争(封建論争)が行われた。このころ,政府の弾圧は治安維持法によって激烈に行われたが,非合法の共産党員をはじめ多くの知識人がマルクス主義の政治と研究に加わり,日本のマルクス主義研究は,国際的にも高い水準を示した。…
※「講座派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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