第二次世界大戦前の日本資本主義をマルクス主義の立場から初めて包括的に解明した画期的な講座。全七巻。1932年(昭和7)5月から33年8月にかけて岩波書店から刊行された。『講座』の刊行された1930年代初頭は、世界大恐慌が猛威を極めていたときであり、日本軍部はすでに満州侵略を開始していた。また第1回配本が開始された月には五・一五事件が勃発(ぼっぱつ)し、日本は戦争とファシズムの道へ進みつつあった。このような情勢のなかで執筆された『講座』は、明治維新以来の日本資本主義発達の諸条件、その本質的諸特徴、その基本的諸矛盾を全面的に分析し、戦争とファシズムを阻止し、社会変革の道を指し示すことに最大の意義をみいだしていた。編集委員は大塚金之助、野呂栄太郎(のろえいたろう)、平野義太郎(よしたろう)、山田盛太郎(もりたろう)の4名であり、そのほかに羽仁五郎(はにごろう)、服部之総(はっとりしそう)、小林良正、風早八十二(かざはややそじ)ら少壮の学者が執筆に参加した。『講座』は、大きく分けて、第一部明治維新史、第二部資本主義発達史、第三部帝国主義日本の現状、第四部日本資本主義発達史資料解説の四部からなっていた。執筆陣は、基本的にいって、コミンテルンの二七年テーゼ、32年テーゼを支持しており、日本の革命はまず天皇制絶対主義を打倒するブルジョア民主主義革命を遂行し、そののちプロレタリア革命に転化するという二段階革命を主張していた。これに対して雑誌『労農』を舞台に論陣を張っていた山川均(ひとし)、猪俣津南雄(いのまたつなお)らは、天皇制権力をブルジョア的帝国主義権力と規定し、ただちに社会主義革命を遂行すべきだとする一段階革命を主張した。両派の戦略論争はやがて日本資本主義論争、明治維新論争にまで発展し、戦前の社会科学界にも絶大な影響を与えた。通称、前者は「講座派」、後者は「労農派」とよばれた。このように『講座』は学問と実践の統一という高度に政治性の高い課題を背負っていたために、第4回配本は発禁処分を受け、第5回配本以降も検閲当局による削除・改訂を余儀なくされた。しかし1982年(昭和57)5月、『講座』刊行50周年を記念して、全巻初版を底本とする復刻がなった。
[中村政則]
『大石嘉一郎著『復刻版・日本資本主義発達史講座別冊1 解説・資料』(1982・岩波書店)』
1932年5月から翌年8月にかけて岩波書店より刊行された全7巻の講座。野呂栄太郎の柔軟で卓越した指導により,編者の大塚金之助,平野義太郎,山田盛太郎のほか,羽仁五郎,服部之総,風早八十二らプロレタリア科学研究所,産業労働調査所や大学などのマルクス主義理論家三十数名の執筆者が結集した。1931年以後の中国全面侵略戦争開始と労農運動高揚のなかで日本の情勢と革命運動の再検討のために,明治維新およびその後の日本資本主義発展の諸特質・矛盾を総体的に解明することをめざした。それによると,明治維新は欧米列強の外圧,国内の商品経済の発達に伴う幕藩体制の内部崩壊などへ対応するための〈上から〉の改革であるとした。発行部数は第3回配本までは1万部を超え,第4回配本以後の発禁処分にもかかわらず7000~8000部を維持した。明治維新史,資本主義発達史,帝国主義日本の現状,資料解説の4部からなり,検閲のためもあって天皇制国家論それ自体の分析はないが,このなかから,山田《日本資本主義分析》,平野《日本資本主義社会の機構》の名著が生まれた。筆者間でかならずしも見解が統一されていたわけではないが,刊行中に発表された〈32年テーゼ〉とはからずも基本的立場が一致し,のちに〈講座派〉を形成して〈労農派〉と日本資本主義論争を展開した。
執筆者:梅田 俊英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1932年(昭和7)5月から翌年8月にかけて多数のマルクス主義理論家・歴史家を結集して刊行された全7巻の講座。岩波書店刊。野呂栄太郎の主導のもとに企画されたこの講座は,明治維新およびその後の日本資本主義発展の諸特質・矛盾を総体的に解明することをめざした。第1~3回配本は順調だったが,第4回配本以降は収録論文の多くが発禁ないし削除処分をうけ,改訂版の作成や,また執筆予定者の逮捕などにともなう変更を余儀なくされた。しかし,「講座」刊行の反響は大きく,その後の社会科学の発展に大きな影響を与えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…これに対して,櫛田民蔵,猪俣ら(労農派)は土地は商品化しており,地主・小作の関係は契約にもとづき,土地緊縛などの経済外的強制も存在しないのであるから,本質的にいって近代的な前資本主義地代であると主張した。第2は,講座派の理論的支柱たる山田盛太郎の《日本資本主義分析》(1934)をめぐる批判と反批判である。労農派の向坂逸郎は,《分析》の軍事的・半封建的資本主義の規定に対して,山田の〈日本資本主義〉には発展がなく,日本型という〈型制〉の固定化があるばかりであると批判した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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