解剖学者、人類学者。明治15年東京に生まれる。東京帝国大学医科大学を卒業後、解剖学を専攻し、京都大学、新潟医学専門学校(現、新潟大学医学部)、東北帝国大学の助教授ならびに教授を歴任した。1921~1922年(大正10~11)にドイツに留学し、解剖学研究のかたわら、R・マルチンの指導のもとに人類学を学んだ。1927~1929年(昭和2~4)には数回にわたってミクロネシア人を調査。1938年東京帝国大学教授となり、翌1939年理学部に人類学科を創設、1942年には中国の北京(ペキン)で、北京原人の調査を行った。1943年東京帝国大学を停年退官し、1944年東北帝国大学名誉教授となる。1951~1968年(昭和26~43)日本人類学会会長を務め、1953年日本学士院会員となる。
主として日本人の人類学を研究テーマとし、多くの遺跡を発掘した。日本人の起源について連続説(移行説)を唱え、縄文時代人は現代日本人の直系の祖先であると主張した。この説は今日もその大筋は正しいと考えられている。「石器時代住民と現代日本人」「明石市附近西八木最新世前期堆積出土人類腰骨(石膏型)の原始性に就いて」「日本民族の成立」などの論文がある。
[埴原和郎 2018年11月19日]
大正・昭和期の人類学者,解剖学者 東京帝大教授;東北帝大名誉教授;日本人類学会会長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
人類学者。東京に生まれ,1906年東京帝国大学医科大学を卒業後,京都大学解剖学教室の足立文太郎に師事し,肉眼解剖学と人類学を専攻して,日本人の脊柱の研究で医学博士の学位を得た。その後,新潟医学専門学校,東北大学の解剖学教授を歴任し,38年には東京大学理学部教授となり,翌年,日本最初の人類学科を創設した。大学を定年退官したのちも日本人類学会の総務幹事,ついで会長として長く斯学の発展に貢献し,53年には日本学士院会員に選ばれた。研究分野は自然人類学を中心に,解剖学から先史学,土俗学にまで及び,学際的な視点から日本人の起源を考察した。とくに,石器時代人が外来の弥生時代人にとってかわられたとする従来の交替説を批判し,石器時代人自身が弥生時代以降の生活の変化に適応しつつ現代日本人にまで変わってきたとする新しい学説を提唱して,大きな反響を呼んだ。そのほかミクロネシア人の調査,明石原人腰骨の研究,中尊寺藤原四代遺体の調査,石器時代日本犬の研究などでも知られている。著書には《自然人類学概論》(1927),《先史学研究》(1927),《日本人の祖先》(1951)などがある。
執筆者:山口 敏
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… 北海道アイヌの骨格を最初に詳しく調査し,アイヌと本州縄文人とが互いに著しく類似することを発見した小金井良精は,アイヌが日本の縄文時代の先住民であり,のちに海外から渡来した日本人によって北へ追われたのであろうと考えた。しかし小金井に続いて日本各地の古人骨資料をさらに数多く調査した長谷部言人,清野謙次らは,アイヌばかりでなく日本人もまた,基本的には縄文時代人に由来したものであることを明らかにした。現在の知見によれば,縄文時代人は多少の地域差を示すが,全体としてかなり均質な旧石器時代人的体質の持主であった。…
…現物は45年,太平洋戦争中の東京空襲の際に焼失した。長谷部言人は,残されていたセッコウ模型について調査し,48年その原始性を指摘して,ニッポナントロプス・アカシエンシスNipponanthropus akashiensisと命名した。年代的には,直良は採取時に骨に付着していた土砂の性状から,前期更新世に比定される西八木層に埋もれていたのが崖崩れで露出落下したのであろうと主張した。…
…貝層は南斜面に1ヵ所,北斜面に2ヵ所分布する。古くから数多くの研究者が調査しているが,1926年の東北大学医学部の長谷部言人,山内清男による発掘が有名である。この発掘は石器時代人骨の採集が主目的で,屈葬人骨や甕に入れられた嬰児骨などが合計16体発見された。…
…清野謙次は,アイヌと現代日本人の共通の祖先が長い混血の歴史を経て形質上の変化を遂げてきたとする原日本人説を示した。同じく縄文時代以来の形質的変化によって,弥生人,古墳時代人を経て現代日本人になったとしながらも,その原因は混血ではなく,生活様式の変化が筋肉や骨の変化を惹起したとする長谷部言人の原日本人説がある。その後,金関丈夫は中国地方の弥生時代初期の人骨にみられる身長の高い一群に注目し,それが朝鮮半島からの渡来者集団ではないかと指摘した。…
… 大正後半期に入ると,人骨資料を基にして研究が進められ,日本人の根幹は日本の国土において形成されたとする〈日本人説〉が台頭してきた。清野謙次は,主として西日本地域から多数の人骨を収集し,計測値の統計結果から日本人の起源を論じ,長谷部言人は,主として東日本から集めた人骨を資料として研究しているが,必ずしも計測値の結果にこだわらず,とくに更新世(洪積世)人類の骨格にみられた時代的変化の理論を,日本人の時代的変化の説明に用いながら考察している。清野は《古人骨の研究に基づく日本人種論》(1949)を,長谷部は《日本民族の成立》(1949)を,それぞれ研究の集大成として出版している。…
※「長谷部言人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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