鬼子母神(きしもじん)(読み)きしもじん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鬼子母神(きしもじん)」の意味・わかりやすい解説

鬼子母神(きしもじん)
きしもじん

インドの鬼女神。サンスクリット名をハリーティーHarītīという。訶利帝(かりてい)、訶利底と音写し、訶梨帝母ともいう。青色鬼と意訳するのは、原語のharitに緑、緑青、緑黄の義があるためである。また、悪女と訳すのは、原語をhāriよりの派生語とみなし、これに誘惑、敗北の義があるからである。この鬼女は王舎城(おうしゃじょう)または大兜国(だいとこく)などのもので、父も母も鬼神・鬼女で、夫般闍迦(はんじゃか)(パーンティカPāñcika)も鬼神王であった。この悪因縁のもとに500人(9子、7子、5子、1000人など諸説あり)の子を得た。鬼子母は、これらの子を養うために、日夜、王舎城内の子を盗んでわが子に与え、王舎城には悲しみの泣き声が絶えなかった。ある人がこれを釈尊に告げたところ、釈尊は末子の嬪伽羅(ひんぎゃら)(プリヤンカラPirigala。青目子(しょうもくし))を取って隠してしまった。鬼子母は悩み悲しみ、このことを釈尊に問い、なんぴとも子の愛すべきを戒められて悔悟し、ついに三帰・五戒(三宝すなわち仏法僧に帰依(きえ)し、五つの戒を身に保つこと)を受けて仏弟子となり、のち安産・子育ての善神となった。鬼子母の故地は玄奘(げんじょう)の『大唐西域記(だいとうさいいきき)』にみられる西北インド大兜国のあたりとみられ、おそらくは飢饉(ききん)時の実在婦女と思われる。13世紀に北インドで仏教が滅亡したあとも、東インドなどで信仰され、エローラ、カリンガパトナムにその像がある。中国、日本でも広く信仰され、とくに日蓮(にちれん)宗で重要視される。東京・雑司ヶ谷(ぞうしがや)および入谷(いりや)の鬼子母神は有名である。その形像は一般に、右手に一児を抱き、あるいは吉祥果(きちじょうか)(石榴(ざくろ)ともいう)を持つ天女形である。

[金岡秀友]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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