日向灘に面した鵜戸岬の岩屋の洞窟内に鎮座する。主祭神の日子波瀲武草葺不合尊のほか大日貴命・天忍穂耳尊・彦火瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・神日本磐余彦尊の合せて六神を祀る。旧官幣大社。古くは鵜戸大権現(日向地誌)・鵜戸六社大権現(鵜戸詣道の記)・鵜戸六所大権現(鵜戸山年代録)などともいった。本殿のある岩屋は日子波瀲武草葺不合尊の生誕地との伝承があり(「日向地誌」「西海雑志」など)、本殿西方の鵜戸山は
応永三一年(一四二四)伊東氏の守る
厚い信仰を集める一方、連歌書では「鵜戸の窟」が歌の名所とされるなど(「梵灯庵袖下集」「宗祇袖下」など)、文人墨客の参詣も多かった。文明一一年(一四七九)閏九月一日には薩南学派の始祖桂庵玄樹が参詣し、鵜戸廟前と題した漢詩をつくっている(島陰漁唱)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
宮崎県日南(にちなん)市鵜戸に鎮座。日向灘(ひゅうがなだ)に面する洞窟(どうくつ)の中にある。日子波瀲武鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武(じんむ)天皇)を祀(まつ)る。社伝によると、当社の創祀(そうし)は崇神(すじん)天皇の代という。桓武(かんむ)天皇の代の782年(延暦1)に、天台僧といわれる光喜坊快久(こうきぼうかいきゅう)が勅命により初代の別当となり、社殿を再興するとともに、寺院を建立、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(だいごんげんあひらさんにおうごこくじ)の勅号を賜ったという。天台宗であったこの寺はのちに真言宗となり、洞内本宮のほか寺坊18を数え、両部神道の一大道場として栄えたといわれる。1827年(文政10)の大火や明治の神仏分離などのため堂坊のほとんどが失われ、社殿、玉橋、八丁坂本参道におもかげが残る。明治維新と同時に鵜戸神社、1874年(明治7)に鵜戸神宮と改称した。旧官幣大社。例祭は2月1日。7月第3土曜日には油津(あぶらつ)港までの神幸がありにぎわう。旧暦正月4日には満艦飾の初詣(はつもうで)漁船の参拝があり、2月初卯(う)の日には農家の人や漁船が陸と海から集まって参拝をする。
[落合偉洲]
宮崎県日南市に鎮座。鵜戸権現とも呼ばれた。社殿は日向灘に直面する洞窟の中にある。祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)尊,天照大御神,天忍穂耳(あめのおしほみみ)尊,彦火瓊瓊杵(ひこほのににぎ)尊,彦火火出見(ひこほほでみ)尊,神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊。社伝によると崇神天皇の時代に創建されたという。大祭は2月1日であるが,7月第3土曜に神幸祭が行われる。旧官幣大社。
執筆者:落合 偉洲
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