青年トルコ人革命(せいねんトルコじんかくめい)
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- オスマン朝スルタンの専制を打倒した革命。オスマン帝国末期アブデュルハミト2世の専制政治が続くなかで,列強の圧力はますます強まり帝国は危機的状…
青年トルコ【せいねんトルコ】
- 百科事典マイペディア
- 1889年ころイスタンブールで青年を中心に結成された〈統一と進歩委員会〉を中核とするトルコの改革運動。アブデュルハミト2世の専制打倒と立憲制復…
ミドハト・パシャ Midhat Paşa
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1822~84オスマン帝国の政治家。イスタンブル生まれ。各地の地方官などをへて,1871年と76年の2度大宰相となり,帝国の自由主義的改革に努め,76年憲…
ミドハト・パシャ Midhat Paşa 生没年:1822-84
- 改訂新版 世界大百科事典
- オスマン帝国の第1次立憲制樹立(1876)に大きな役割を果たした政治家。イスタンブールに生まれ,18歳で官界に入った。以後着実に昇進し,国家会議議…
パン・イスラム主義【パンイスラムしゅぎ】
- 百科事典マイペディア
- 19世紀後半に生まれた,イスラム世界(ウンマ)を統一しようとする思想・運動に対する呼称。ヨーロッパ列強によるイスラム世界の植民地化が進む中で…
アブデュルハミト2世(アブデュルハミトにせい) Abdülhamit Ⅱ
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1842~1918(在位1876~1909)オスマン帝国の第34代スルタン。1876年,列強の外圧と国内の立憲運動の高まりにより,ミドハト・パシャを宰相に任用して…
エンウェル・パシャ
- 百科事典マイペディア
- オスマン帝国末期の軍人。イスタンブール生れ。1908年アブデュルハミト2世の専制政治に反対して青年トルコ革命を指導。革命派は1913年にクーデタで…
統一と進歩委員会
- デジタル大辞泉プラス
- 1889年、オスマン帝国で創設された政治結社。アブデュル・ハミト2世の専制を排し、立憲制を復活させることを目的とする。通称「青年トルコ党」。
アフガーニー
- 百科事典マイペディア
- イラン生れのイスラム改革思想家。インド大反乱の鎮圧やムガル帝国滅亡に接してヨーロッパの脅威を感じ,イスラムの連帯と反帝国主義運動を指導。イ…
アブデュル・ハミト(2世) あぶでゅるはみと Abdülhamid Ⅱ (1842―1918)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- オスマン・トルコ帝国第34代スルタン(在位1876~1909)。兄ムラト5世が病気を理由に廃位されたのち、オスマン帝国憲法の制定を約して即位した。1876…
テウフィク・フィクレト Tevfik Fikret 生没年:1867-1915
- 改訂新版 世界大百科事典
- トルコの詩人。イスタンブールに生まれ,ガラタサライ・リセ在学中にタンジマート文学の巨匠たちの薫陶を受けた。役人や教師を勤めるかたわら,雑誌…
アブデュルハミト[2世]【アブデュルハミト】
- 百科事典マイペディア
- オスマン帝国末期の専制君主,第34代スルタン。在位1876年−1909年。1876年憲法を発布,議会の開設を行い,第1次立憲制をしくが,露土戦争(1877年−1…
フサイン
- 百科事典マイペディア
- アラビア半島の北西部,メッカ,メディナを含む地域ヒジャーズの国王。在位1916年−1924年。イスラムの預言者ムハンマドの家系であるハーシム家に生ま…
カワーキビー Al Kawākibī
- 20世紀西洋人名事典
- 1849 - 1902 シリアの思想家。 アレッポ出身。 アラアブ民族主義思想家。名門の出身でムハンマド・アブドゥフの弟子。オスマン帝国の官吏をした後…
カワーキビー al-Kawākibī 生没年:1849-1902
- 改訂新版 世界大百科事典
- シリアのアラブ民族主義思想家。アレッポの名門の出身で,ムハンマド・アブドゥフの弟子。オスマン帝国政府の官吏を経て文筆活動に入る。アブデュル…
アブデュルハミト[2世] Abdülhamit Ⅱ 生没年:1842-1918
- 改訂新版 世界大百科事典
- オスマン帝国末期の専制君主,第34代スルタン。在位1876-1909年。即位当初,バルカン諸民族の保護を口実としたヨーロッパ諸列強の干渉をかわすために…
ミドハト=パシャ Midhat Pasha
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1822〜84オスマン帝国末期の革新的政治家各州の知事を歴任したのち,アブデュル=ハミト2世治下の1876年,2度目の大宰相となり,ミドハト憲法を発…
アフメト・ミトハト あふめとみとはと Ahmet Midhat (1844―1912)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- トルコの大衆作家、ジャーナリスト。イスタンブールの中流家庭に生まれる。父の早世により、ブルガリアのビディンにいる義兄のもとで教育を受け、ル…
タンジマート Tanzimat
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 19世紀半ばごろのオスマン帝国における近代的改革。正しい呼び名はタンジマート−ハイリーエ(恩恵的な改革)ヨーロッパ的中央集権体制の確立による近…
ミドハト憲法 ミドハトけんぽう Midhat
- 旺文社世界史事典 三訂版
- オスマン帝国最初の憲法1876年宰相ミドハト=パシャによって作成,スルタンであるアブデュル=ハミト2世によって発布された。責任内閣制,二院制国…
アブデュルハミト2世 Abdülhamit Ⅱ
- 20世紀西洋人名事典
- 1842 - 1918 オスマン・トルコ国籍。 オスマン・トルコ帝国第34代スルタン。 兄ムラト5世が廃位され、のち第34代スルタンに即位する。1876年憲法を…
露土戦争【ろとせんそう】
- 百科事典マイペディア
- ロシア・トルコ戦争とも。クリミア戦争(1853年―1856年)に敗れてロシアの南下政策は停滞したが,1875年以後のオスマン帝国(トルコ)支配下のスラブ…
フサイン Ḥusayn b.`Alī 生没年:1852ころ-1931
- 改訂新版 世界大百科事典
- ヒジャーズ王。在位1916-24年。第1次世界大戦下のアラブ反乱の名目上の代表者。預言者ムハンマドの後裔とされるハーシム家の生れ。オスマン帝国のア…
テブフィク・フィクレト Tevfik Fikret
- 20世紀西洋人名事典
- 1867 - 1915 トルコの詩人。 イスタンブール生まれ。 外務省に勤めた後、トルコ語教師となる。教職生活をする一方で、雑誌「学問の富」を通して西…
ミトハト憲法 みとはとけんぽう Kanun-u Esasi
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- オスマン帝国憲法。起草者ミトハト・パシャ(1822―84)の名を付して通称される。オスマン帝国の衰退がスルタンの専制政治にあると考えた知識人は、18…
テブフィク・フィクレト てぶふぃくふぃくれと Tevfik Fikret (1867―1915)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- トルコ近代詩の祖。イスタンブール生まれ。フランス系のガラタサライ高校卒業。外務省に勤務ののち、トルコ語教師として教鞭(きょうべん)をとり、母…
タンジマート
- 百科事典マイペディア
- 1839年―1876年のオスマン帝国における西欧化改革運動。〈恩恵改革〉とも。19世紀に入ると帝国は,地方の民族運動や西欧列強の干渉によって解体の危機…
ムスタファ=レシト=パシャ Mustafa Reşit Paşa
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1799〜1857オスマン帝国の政治家1831年外交官となり,駐仏・駐英大使を歴任。1837年パシャの称号を授かり外相となる。1839年,アブデュル=メジト1…
アフメト・ミドハト Ahmet Midhat
- 20世紀西洋人名事典
- 1844 - 1912 トルコの大衆作家。 イスタンブール生まれ。 ルーセで地方官吏をしているときにドナウ州知事ミドハト・パシャの知遇を得る。1864年パ…
青年トルコ(党) せいねんトルコ(とう) Genc Türk
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 19世紀末,オスマン帝国の再強化をミドハト憲法の復活に求めて結成された立憲運動組織。正式名は「統一と進歩委員会」パリに留学した若いトルコ人知…
ヒジャーズ鉄道 (ヒジャーズてつどう)
- 改訂新版 世界大百科事典
- ダマスクスとメディナを結ぶ鉄道。1900年5月のオスマン帝国スルタンによる勅令によって建設が決定され,その表向きの目的は,イスラム教徒のメッカ巡…
アブデュル‐アジズ
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:1830年2月9日オスマン・トルコ帝国第32代スルタン(在位1861〜76)1876年没
アブデュルハック・ハミト Abdülhak Hamit Tarhan 生没年:1851-1937
- 改訂新版 世界大百科事典
- トルコの詩人,文学者。イスタンブールの学者の家系に生まれ,官僚,外交官としての勤務のかたわら,トルコ近代文学の成立期であるタンジマート期か…
あぶでゅるめじと【アブデュルメジト[1世]】
- 改訂新版 世界大百科事典
スルタン・カリフ制 するたんかりふせい
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- イスラムの政治的有力支配者スルタンが、宗教的権威となっていたカリフ位を併用した体制。オスマン朝のみにみられる。オスマン朝第9代スルタン、セリ…
アブデュルハック・ハミト・タルハン Abdülhak Hamit Tarhan
- 20世紀西洋人名事典
- 1851 - 1937 トルコの詩人,外交官,劇作家。 元・大使。 イスタンブール生まれ。 オスマン朝末期から共和国期にかけ、外交官として仏・希・露・英に…
アブデュルハック・ハミト・タルハン あぶでゅるはっくはみとたるはん Abdülhak Hamit Tarhan (1851―1937)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- トルコの詩人、劇作家。イスタンブール生まれ。アメリカ系の大学ロバート・カレッジ卒業。外交官としてパリ、ロンドン、ブリュッセルなどに赴任する…
クチュク・カイナルジ条約 くちゅくかいなるじじょうやく
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 1774年7月、オスマン帝国ブルガリアの村クチュク・カイナルジKuchuk Kainarji(トルコ読みキュチュク・カイナルジャKüçük Kaynarca)で、ロシアのエ…
ギュルハネ勅令 (ギュルハネちょくれい)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 1839年11月3日,オスマン帝国の大宰相で開明的なムスタファ・レシト・パシャによって布告されたスルタン,アブデュルメジト1世(在位1839-61)の改革…
アブデュル=ハミト(2世) Abdül Hamit Ⅱ
- 旺文社世界史事典 三訂版
- 1842〜1918オスマン帝国第34代のスルタン(在位1876〜1909)トルコの近代化(タンジマート)に乗りだしたアブデュル=メジトの子。即位後,ミドハト…
ギュルハネ勅令(ギュルハネちょくれい) Gülhāne
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- オスマン帝国のタンジマートの端緒となった勅令。1839年スルタン,アブデュルメジト1世のもとで外相ムスタファ・レシト・パシャが発布した。全臣民の…
アブデュルメジト1世(アブデュルメジトいっせい) Abdülmecit Ⅰ
- 山川 世界史小辞典 改訂新版
- 1823~61(在位1839~61)オスマン帝国の第31代スルタン。1839年ギュルハネ勅令を発布してタンジマートを開始した。全臣民の法のもとの平等を掲げ,軍…
青年トルコ党 せいねんとることう Young Turks
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- オスマン朝スルタン、アブデュル・ハミト2世の専制政治を排し、1876年憲法復活を目ざした秘密結社「統一と進歩委員会」Ittihat ve Terakki Cemiyeti…
アフガーニー あふがーにー Jamāl al-Dīn al-Afghānī (1838/1839―1897)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 汎(はん)イスラム、反帝国主義思想家。イランに生まれ、シーア派の教育を受けたが、スンニー派世界での影響を考えて、アフガン人と自称した。1857~1…
アフガーニー Jamāl al-Dīn al-Afghānī 生没年:1838・39-97
- 改訂新版 世界大百科事典
- イスラム改革および反帝国主義の運動の扇動家,組織者。名はジャマール・アッディーンJamāl al-Dīn。アフガン人と自称したが,イラン生れ。そのため…
アブデュル・メジト あぶでゅるめじと Abdülmecit (1823―1861)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- オスマン・トルコ帝国第31代スルタン(在位1839~1861)。第30代スルタン、マフムト2世の子。17歳で即位した直後、トルコ近代史の端緒をなした「ギュ…
青年トルコ (せいねんトルコ) Genç Türkler
- 改訂新版 世界大百科事典
- オスマン帝国末期,スルタン,アブデュルハミト2世の専制政治に反対した改革運動。1889年イスタンブールの軍医学校学生イブラヒム・テモIbrahim Temo…
アブデュルアジーズ Abdülaziz 生没年:1830-76
- 改訂新版 世界大百科事典
- オスマン帝国の第32代スルタン。在位1861-76年。帝の治世はタンジマート後期にあたり,西欧化改革の推進につとめたが,バルカン諸民族のあいつぐ蜂起…
フアト・パシャ Fuat Paşa 生没年:1815-69
- 改訂新版 世界大百科事典
- オスマン帝国のタンジマート時代(1839-76)の政治家。トルコで最初の医学校(1827設立)卒業後,外交官として活躍し,外務大臣,さらに1861年には大…
アルメニア人 (アルメニアじん) Armenian
- 改訂新版 世界大百科事典
- イラン,トルコ,カフカスが接するアルメニア地方の住民。自称はハイHay。形質はコーカソイド人種のアルメノイド型で,インド・ヨーロッパ語族のアル…