「アッラー」の検索結果

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ハムド・アッラーフ・カズウィーニー Ḥamd Allāh Qazwīnī 生没年:1281ころ-?

改訂新版 世界大百科事典
イランの歴史家。イラン北部の都市カズウィーンの名家ムスタウフィー家の出身。1330年《選史》を著したが,この書は天地創造より作者の同時代に至る…

メソポタミア美術 メソポタミアびじゅつ Mesopotamian art

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
古代メソポタミア地方 (現イラク) の美術。南部のシュメール人によって建てられた都市国家が成立する (前 3000頃) 以前の時代と,シュメール時代 (→…

モッラー・サドラー Mollā Ṣadrā 生没年:1571-1640

改訂新版 世界大百科事典
十二イマーム派の神学者,哲学者,神秘主義思想家。〈神智学者の長Ṣadr al-Muta'allihīn〉とあだ名された。十二イマーム派の神学とイブン・アルアラ…

ナジャフ An-Najaf

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イラク中央部,ナジャフ県の県都。カルバラーとともにシーア派イスラム教二大聖地の一つ。バグダードの南約 160kmに位置する。ユーフラテス川の西 11…

イブン・フルダーズベ Ibn Khurdādhbeh 生没年:820ころ-912ころ

改訂新版 世界大百科事典
イラン系の著名な地誌著述家。バグダードに育ち,イランのジバールを振出しにバグダード,サーマッラーの駅逓長官を務め,アッバース朝カリフ,ムー…

アルフセイン‐モスク(Al-Hussein Mosque)

デジタル大辞泉
ヨルダンの首都アンマンの旧市街中心部にあるイスラム寺院。7世紀半ば、イスラム教第2代正統カリフ、ウマルが東ローマ帝国の大聖堂の跡地に建造。英…

フラニ王国 (フラニおうこく)

改訂新版 世界大百科事典
19世紀に西アフリカのナイジェリア北部一帯に領域を拡大,繁栄したイスラム神政国家。フルベ族Fulbe(フラニ族Fulani)はニジェール川やセネガル川の…

へっらーこすき【ヘッラーコスキ,A.】

改訂新版 世界大百科事典

ヒズボラ(〈アラビア〉hizbu'llah)

デジタル大辞泉
《神の党の意》レバノンの、親イラン、シーア派のイスラム教徒の宗教・政治・軍事組織。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻時にイランから送り込ま…

あまーぬっらー【アマーヌッラー】

改訂新版 世界大百科事典

アブド・アッラーフ・ブン・フサイン `Abd Allāh b.Husayn 生没年:1882-1951

改訂新版 世界大百科事典
ヨルダンの初代国王。メッカのシャリーフ,フサインの次男。第1次大戦直前カイロで〈アラブ合同〉運動に参加,開戦と同時に父の命令で〈アラブ反乱〉…

イドリース1世 イドリースいっせい Idrīs I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]793. ワーリラ北アフリカ,マグレブ地方に興った最初の王朝イドリース朝 (789~926) の創建者 (在位 789~793) 。第4代カリフ,アリーの子…

後ウマイヤ朝 (こうウマイヤちょう) Umayya

改訂新版 世界大百科事典
イベリア半島における最大・最長のイスラム王朝で,同地のイスラム化に最も貢献した。756-1031年。ウマイヤ朝第10代カリフ,ヒシャームの孫のアブド…

スコテッラーロ すこてっらーろ Rocco Scotellaro (1923―1954)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イタリアの詩人。南部の貧しい家に生まれる。若年から政治活動に取り組み、季節労働者とともに土地占拠運動に加わる。無実の罪を問われ、獄中生活を…

イブン・マーサワイフ Ibn Māsawayh 生没年:777-857

改訂新版 世界大百科事典
アッバース朝の医者。薬剤師であり,バグダードの宮廷の侍医でもあった父の末子として生まれる。初め聖職者を志すが,ジュンディーシャープールの医…

メシェド Meshed

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
別称マシュハド Mashhad。イラン北東部,ホラーサーン州の州都。カシャフ川河谷の標高 985mに位置する。古代名トゥース。アッバース朝第5代のカリフ…

アーヤトッラー

百科事典マイペディア
シーア派の十二イマーム派で,高位の宗教学者(ウラマー)に与えられる称号。信徒からイスラム法の解釈について相談を受けるほか,直接献金を受け取…

コッラード アルヴァーロ

367日誕生日大事典
生年月日:1895年4月15日イタリアの詩人,小説家1956年没

南レバノン問題 みなみればのんもんだい Situation in South Lebanon

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラエル軍が安全保障地帯として1978年から2000年まで占領していたレバノン南部の問題。 発端は1970年にヨルダンを追放されたパレスチナ解放機構…

アブド‐アッラフマーン(‘Abd al-Raḥmān)

デジタル大辞泉
(1世)[731~788]後ウマイヤ朝の始祖。在位756~788。スペインのコルドバを中心にウマイヤ朝を再建、フランク王国カール大帝の遠征軍を破って王国…

サウハージュ Sawhāj

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
エジプト中部,ナイル川渓谷の中央部にある町。サウハージュ県の県都。町の周辺は,ナグウハンマーディ堰からの用水で灌漑され,綿花,穀物,ナツメ…

イスマーイール派 (イスマーイールは) Ismā`īl

改訂新版 世界大百科事典
イスラムの十二イマーム派の分派で過激シーア派。シーア派第6代イマーム,ジャーファル・アッサーディクJa`far al-Ṣādiq(699ころ-765)は長子イスマ…

バーラクザーイー朝(バーラクザーイーちょう) Bārakzā'ī

山川 世界史小辞典 改訂新版
1826~1973近現代アフガニスタンの王朝。ムハンマドザーイー朝ともいう。ドゥッラーニー朝宰相の弟ドースト・ムハンマド(在位1826~63)がカーブルで…

バッターニー

百科事典マイペディア
アラビアの天文学者。アル・バッターニーとも。生没年不詳。9世紀後半から10世紀初めに活躍。ハッラーンの生れ。ラッカで天体を観測,プトレマイオ…

バーキッラーニー al-Bāqillānī, Abū Bakr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]1013イスラム教スンニー・アシュアリー派の神学者。アブー・アブドゥッラー・イブン・ムジャーヒドの門人であった。イスラムの基本的主張で…

アブド・アッラーフ・アンナディーム `Abd Allāh al-Nadīm 生没年:1843-96

改訂新版 世界大百科事典
エジプトのジャーナリスト,啓蒙家。アフガーニーの影響を受け,その優れた筆と弁舌を駆使して1880年代初期の民族運動の高揚に寄与した。《タリーク…

カリフ

百科事典マイペディア
初期イスラムの最高指導者の称号。アラビア語で正しくはハリーファkhalifa。本来は〈代理者〉〈継承者〉を意味し,632年ムハンマドの没後アブー・バ…

ムータジラ派 (ムータジラは) Mu`tazila

改訂新版 世界大百科事典
8世紀中ごろから10世紀中ごろまで栄えたイスラム神学の先駆的一派。初期のムータジラ派は,イスラムの根本的な教義タウヒードを合理的な思惟によって…

ホメイニ

精選版 日本国語大辞典
( Rūhallah Mousavi Khomynī ルーホッラー=ムーサビ━ ) イランの宗教家、政治家。イラン革命の最高指導者。パフラビー(パーレビ)国王の弾圧政治に…

イムルル・カイス Imru' al-Qays ibn Ḥujr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]550頃古代アラビアの詩人。中央アラビアの高原に興ったキンダ王国の王子であったが,不遇流離の生活をおくりつつ,きわめて格調の高い詩を…

シリア砂漠 (シリアさばく) Bādiya al-Shām

改訂新版 世界大百科事典
アラビア砂漠の北部にある三角形の台地。シリア,イラク,ヨルダン,サウジアラビアにまたがるが,明確な境界はない。三角形の頂点はアレッポ近くま…

大シリア計画 だいシリアけいかく Project of Greater Syria

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ヨルダンのアブドゥッラー国王が構想し,推進しようとしたハーシム家中心のアラブ統一運動の一つ。トランスヨルダン,シリア,パレスチナそして最終…

イスマーイール派 いすまーいーるは Ismā‘īlīya

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラム教シーア派の一分派。七(しち)イマーム派ともよばれる。シーア派の第6代(イスマーイール派では第5代)イマーム(指導者)、ジャアファル・…

ヌビア Nubia

改訂新版 世界大百科事典
エジプト南部からスーダン北部にかけてのナイル川流域の地名。一般的にアスワンの第1急湍(たん)から南の第4急湍付近までをさす。アラビア語ではヌ…

セルジッラー(Serjilla)

デジタル大辞泉
シリア北西部にある集落跡。アレッポの南西約80キロメートルに位置する。東ローマ帝国時代に栄え、オリーブ油やワインの生産で知られた。7世紀のアラ…

ヴィッラーニ

小学館 和伊中辞典 2版
Giovanni Villani(男)(Firenze 1280頃‐1348;イタリアの年代記作者.『新年代記』Nuova Cro̱nica)

ばーきっらーにー【バーキッラーニー】

改訂新版 世界大百科事典

シャイバーニー朝 (シャイバーニーちょう) Shaybānī

改訂新版 世界大百科事典
16世紀に,ウズベク族が西トルキスタンを中心に建設した国家。1500-99年。ジュチの第5子シバンShiban(シャイバン)を始祖とするためにこの名で呼ば…

メスキータ(Mezquita)

デジタル大辞泉
スペイン南部の都市コルドバにあるモスク。後ウマイヤ朝アブド=アッラフマーン1世の命で8世紀に建設が始まり、10世紀末に完成した。大理石と赤れん…

ペスト・ジェノベーゼ【pesto genovese(イタリア)】

和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典
バジル、松の実、にんにく、パルミジャーノレジャーノやペコリーノなどのチーズをすり潰し、オリーブオイル・塩・こしょうを加えて作る緑色のペース…

UCサンプドリア

デジタル大辞泉プラス
イタリア北西部の都市、ジェノバを本拠地とするプロサッカーチーム。1946年創設。ホームスタジアムはスタディオ・ルイジ・フェッラーリス。ヨーロッ…

イスファハーンのイマーム広場【イスファハーンのイマームひろば】

百科事典マイペディア
イランの中部に位置する同国屈指のオアシス都市,イスファハーンの中心部にある広場。広場を囲んで四周に,イランのイスラーム芸術の粋を集めたイマ…

ベラール王国 ベラールおうこく Berār

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イマード・シャーヒー`Imād Shāhī王国ともいう。インドのバフマニー朝末期,1484年にベラール州総督であったファテウッラー・イマードゥルムルク (在…

ファッラーチ

小学館 和伊中辞典 2版
Oriana Fallaci(女)(Firenze 1929‐2006;イタリアの作家,ジャーナリスト.『生まれなかった子への手紙』Le̱ttera a un bambino mai nato)

サッラール朝 サッラールちょう Sallārids; Musāfirids; Sālāriyān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
10~11世紀イラン北部,ダイラムの地方王朝 (→ダイラム人 ) 。ムハンマド Muhammad b. Musāfir (在位?~941) がタールムのサミーラーン城を拠点に基…

フェッラーラ

小学館 和伊中辞典 2版
Ferrara(女);(略)FE(イタリア,エミーリア‐ロマーニャ州の都市) ◇ferrarese

アブダッラー ‘Abd Allāh bn ‘Abd al-‘Azīz al-Sa‘ūd

20世紀西洋人名事典
1921 - サウジアラビア国籍。 サウジアラビアの王子,第1副首相。 初代国王の子でファハドの異母弟、王位継承順位第1位である。1962年から国家警備…

フェッラーラ(Ferrara)

デジタル大辞泉
⇒フェラーラ

ベッラージオ(Bellagio)

デジタル大辞泉
イタリア北部、ロンバルディア州の町。コモ湖とレッコ湖の分岐点に位置する。風光明媚な地として知られ、「コモ湖の真珠」とも称される。ビラセルベ…

アンドレア ヴィターリ Andrea Vitali

現代外国人名録2016
職業・肩書作家国籍イタリア生年月日1956年出生地ベッラーノ学歴ミラノ国立大学医学部卒受賞ピエロ・キアラ文学賞(1996年度)「L’ombra di Marinetti…

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