アサーニャ(英語表記)Manuel Azaña y Díaz

改訂新版 世界大百科事典 「アサーニャ」の意味・わかりやすい解説

アサーニャ
Manuel Azaña y Díaz
生没年:1880-1940

スペイン政治家,文学者。エスコリアールの修道院系学校で法律を学び,のちマドリード大学,パリ大学で研究。同時に自由主義の立場から著作活動に入り,1913年から〈アテネオ・デ・マドリード〉の書記長議長を務める。政治的には改革党,次に共和主義行動派に属し,30年8月,反王制〈革命委員会〉に参加。31年,共和国の陸相首相就任し,共和国前半の自由主義改革を遂行した。34年,十月革命の際に逮捕。釈放後,左翼統一を呼びかけ,36年2月,人民戦線の総選挙勝利により再び首相,大統領に就任。7月の内乱勃発後は共和国陣営にくみしたが,39年2月フランス亡命,大統領を辞し,モントーバン客死した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アサーニャ」の意味・わかりやすい解説

アサーニャ
Azaña y Díaz, Manuel

[生]1880.1.10. アルカラデエナレス
[没]1940.11.4. モントーバン
スペイン第2共和政下の政治家。パリで法律を学んだが当初は文筆活動に専念。 1930年革命委員会委員。 31年制憲議会の共和党議員。革命後臨時政府の陸相として軍の粛清にあたった。 31~33年首相となり,内政改革を実施。 36年人民戦線の勝利とともに同年5月大統領に就任したが,内乱勃発後の 39年,F.フランコら軍部による勝利が決定的になるとフランスに亡命,翌年同地で客死。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「アサーニャ」の意味・わかりやすい解説

アサーニャ

スペインの政治家。自由主義左派の指導者で,第二共和制前半に首相となり,一時失脚したが,1936年人民戦線の勝利により首相,次いで共和国第2代大統領に就任した。スペイン内乱で敗れて辞任,フランスに亡命,客死。
→関連項目スペイン内乱

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「アサーニャ」の解説

アサーニャ
Manuel Azaña y Díaz

1880〜1940
スペインの政治家・文学者
自由主義共和派として,1931年のスペイン革命ブルボン朝を打倒し,共和国首相から36年人民戦線内閣大統領となる。しかしフランコ派との内戦に敗れ,フランスに亡命,死去した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアサーニャの言及

【スペイン】より

…つまり,18世紀以降の〈画一的なスペイン〉を排して,第二共和国は〈多様なスペイン〉を選択した。 新憲法制定後,初代大統領にアルカラ・サモラ,首相にはM.アサーニャが就任し,一般に〈ジャコバンの2年間(革新の2年間)〉(‐1933年11月)といわれる時代が始まった。アサーニャ内閣の基本政策は,第1に,大土地所有者ならびに教会,軍部の影響力の排除にあった。…

【フランコ】より

…25年スペイン領モロッコの反乱を鎮圧し少将に昇進。31年サラゴサ陸軍士官学校長の時の演説がM.アサーニャ陸相の反感を買った。34年10月アストゥリアス革命鎮圧の作戦を指揮。…

※「アサーニャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android